今回から、神奈川県立図書館所蔵CDのコーナーはしばらくモーツァルトのピアノ協奏曲全集について語ります。
この全集はピリオドで、指揮はジョン・エリオット・ガーディナー、オケはイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、フォルテピアノはマルコム・ビルソンというメンバーです。
メンバーはすばらしいのですが、このとき欲しかったのは実はピリオドではなくてモダンだったんです。でも、残念ながら図書館にはモダンの全集がないんですね。でも、どうしてもモーツァルトのピアノ協奏曲が全曲聴きたかった私は、このピリオドの演奏を借りることにしました。
これは猛烈な勢いで借りていったのですが、ピリオドはよく指摘がありますが、やはり楽器の性能が落ちますので、やっぱりモダンで全集を聴いてみたくなりまして、その後モダンを借りました。その聴きくらべは以前一曲ずつ取上げたときに書いたとおりです。
で、そのときにいただいたコメントで、このイングリッシュ・バロック・ソロイスツはオケの編成が大きすぎるのだという指摘をしていただきました。すでに何度か私もこのブログで「オケとピアノとのバランスが聴いていておかしい」と書いていましたので、その疑問が氷解した瞬間でした。
ただ、それを確認する手段が、なかなか見つからないのです。一番いいのはその演奏の映像を見ることであるわけですが、私はいまyou-tubeをわざと見れないようにしているのはこの前書いたとおりですので、少なくともネットの動画でそれを確認することは出来ない状況です。ですので、書物で確認できないか、県立図書館の書籍を当たったり、近々私も東京文化会館音楽資料室までそれを調査に足を運ぼうかとさえ思っています。OPACですでにいくつか検索をかけています。
ですので、今回は聴き比べよりも、「オケとピアノのバランス」を聴くという点から書いてみたいと思います。ですので、ちょっと音楽そのものからは脱線気味になると思いますが、ご容赦願いたいと思います。
この全集では、モーツァルトの第5番から収録が始まって(第1番から第4番までは他人の作品の編曲であるため)いて、この第1集に収録されているのは第5番、第6番、そして第7番となる3台のピアノのための協奏曲、そしてロンドK.382になります。オケの編成が大きすぎるという観点から聴いてみますと、なるほど、確かにオケの音はかなり大きいんですね。かなり大音響で聴かないとフォルテピアノは存在感が薄くなります。特に、3台は大音響にしませんと本当に3台で弾いているの?と感じるほどです。
一体、ライブではどうなんだろうかと思います。あくまでも、この演奏はスピーカというものを通して聴いているわけです。収録マイクの位置は?その本数は?エンジニアは音をいじっているのか?
いろんな疑問がわきあがってきます。そのあたりはまだ全然知りえていません。
ただ、5番ではまだそれほどフォルテピアノが存在感が薄いということはないのですが、それでもやはりやや薄めな気がします。協奏曲は独奏者が主役であるはずなんですが・・・・・
いかに当時のピアノ(いや、クラヴィーアと言うほうが適切かもしれません)の性能が悪かったとはいえ、その当時はそれが当たり前だったはずです。以前から述べていますが、もっとオケとフォルテピアノのバランスは良かったはずではないのか、と。
これは演奏や解釈という問題よりも、もっと違うところにその問題点がありそうな気がします。バッハではそんなこと全く感じませんから。当時の編成やホールの大きさという点に関する問題意識のような気がしてなりません。
つまり、この演奏がだめというより、せっかくの演奏をだめにしてしまった他の原因がある、そんな気がしてならないのです。
せっかくもう一度取上げるのですから、さらにもうひとつ、ヲタクなことをやってみました。最初に、この音源にはロンドK.382が収録されていると書きましたが、このロンドK382というのは、第5番の最終楽章として使われたものなのです。第5番はもともとモーツァルトがザルツブルクにいたとき(1773年)に作曲されていますが、その9年後の1782年にウィーンで再演されたとき、第3楽章をこのK.382と差し替えたのです。
ならば、その差し替えたもので通して聴いてみよ〜!というわけで、やってしまいました。mp3にしてあるファイルがありますので、それを使って差し替えて第5番を聴いてみました。
感想は、音楽的にはすばらしいのだけれど・・・・・・って感じです。でも、何か違和感を感じるんです。第2楽章までの世界観と何かが違うんです。
ですから、このロンドを評価しない専門家もいますが、モーツァルト事典ではそれを戒めています。これが当時のウィーンの聴衆が望んだものであり、モーツァルトはそれにマッチしたものを書いたに過ぎない、と。
ただ、収録されているほかの第6番、そして第7番である3台のための協奏曲では最終楽章はロンドとなっていて、それは違和感を感じません。なのに、第5番だけロンドではなくソナタ形式を持ってきているというのは、モーツァルトは第5番に関してはそれが一番いいと考えた結果だったのでは?と素人ながら思うのです。
そうでなければ、初めからロンドを持ってくるんじゃないかな〜って、思うのです。
いろんな考え方があるとは思いますが、興味が尽きない1曲ではあります。こんな楽しみも、音楽ファイルならではです。
まあ、それはCDでも楽しめるわけではあるんですが、そのためにはやっぱりきちんとしたデッキでトラックを選択してあげる必要があります。でも、パソコンや例えば安物のポータブルCDプレーヤーではそうは行きません。
そんなときに、ファイル化してみますと、こんな楽しみ方が出来ますよという一例ではあると思います。
聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲
クラヴィーア協奏曲第5番ニ長調K.175
クラヴィーア協奏曲第6番変ロ長調K.238
3台のクラヴィーアのための協奏曲ヘ長調K.242(第7番)
ロンドニ長調K.382
マルコン・ビルソン(フォルテピアノ)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
(ARCHIV UCCA9019)