かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト クラヴィーア協奏曲全集6

今回の県立図書館の所蔵CDはピリオド演奏であるモーツァルトのクラヴィーア協奏曲全集の第6集です。指揮、オケ共に同じ組み合わせ。

で、この音源では、ようやくバランスの悪さが改善されてきますが、それでもやっぱり完全にではありません。

特にそれが感じられるのは、pの部分とfの部分のオケなんです。pではクラヴィーアが小さな音で弾いているのに、オケの楽器のほうが大きく聴こえてしまいます。あくまでも当時は独奏者が主役ですし、特に17番などはモーツァルト自身が予約音楽会という、自分の演奏を聴いてもらうために自ら開いた演奏会で聴いてもらうために書かれた曲です。クラヴィーアがオケに埋没するなんて、考えられません。

さらにfではオケがものすごい音量で「飛び出して」きます。これもおかしいです。モダンでも勿論そういう演奏はありますが、ピアノも同様に「飛び出し」ます。でも、この演奏ではクラヴィーアは全く飛び出さず、オケだけ目立つ結果となっています。

これでは、クラヴィーア協奏曲なのか、それとも後期ロマン派などで発生するクラヴィーアつきの「交響曲」(スクリャービンなどが書いているような)なのか、わからなくなります。

これって、古楽演奏ではないなという気がします。勿論、ピッチは間違いなく古楽です。でも、その解釈はモダンのままで演奏されている気がしてならないのです。

指摘があったように、やっぱり編成が大きいのかなとも思いますが、ただ、この第6集では編成自体は小さくなっているように思います。明らかにクラヴィーアは埋没はしていません。それでも、オケの音のほうがどうしても音量において勝る・・・・・

指揮者のせいなのかもしれません。

ここまでじっくり聴きますと、やはり他の演奏も私は聴くべきだと、今になっては思います。これでモダンがいい、ということにせず、いや、これは古楽演奏としてははっきり言って素晴らしいものなのか?という観点から、探してみるべきだと、今では思います。

本来ならこのあたりの番号からだんだん古楽じゃ、ねえ・・・・・となるはずなのが、そうではないのですから。マイクの位置だけの問題でもなさそうです。もっと根本的な部分で何かこの演奏は間違いを犯している・・・・・そんな気がします。

さて、ロンドがあるけど、それには言及しないの?という方のために、今週末の「音楽雑記帳」ではそのあたりを別個に取上げてみたいと思います。それまで、K.386に関しましてはお待ちくださいませ。



聴いている音源
ヴォルグガング・アマデウスモーツァルト作曲
クラヴィーア協奏曲第17番ト長調K.453
クラヴィーア協奏曲第20番ニ短調K.466
ロンド イ長調K.386
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
(ARCHIV UCCA9024)