かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:モーツァルト クラヴィーア協奏曲全集7

今回の県立図書館所蔵CDは、モーツァルトのクラヴィーア協奏曲全集の第7集で、収録曲は第22番と第23番です。

このあたりから後期の作品群であるわけですけれど、やはり違和感を感じます。なぜだ!なぜなんだ!このバランスの良さは!

こんなにいきなりバランスって良くなるか?と思ってしまいます。モダンを聴いてしまってからは、それをいっそう感じます(それについては、またモダンを取上げたときに)。

マイクの位置を修正したのでしょうか?編成を小さくしたのでしょうか?

少なくとも、編成を小さくしたのは感じ取ることができますが、マイクの位置はさほど変わりないと思います。

確かに、まだフォルテピアノらしい、小さな音ではありますが、俄然バランスは良くなっています。聴き取りにくいということは解消されています。うん、この当時ならばこれくらい非力だよね、って感じです。

つまりは、初期の作品群のものは失敗作?いや、プロがそんなことをするはずがない・・・・・

と思っても、それを受け入れざるを得ないと思うほど、このバランスの良さは秀逸です。

それは作曲技法にもあるんじゃないの?と思う方もいらっしゃると思いますが、私はこのシリーズの前半では同様に思っている時期もありましたが、ここに来てそれは全く考えていません。モーツァルト事典(東京書籍)でもそれは全く触れられていませんし、アマチュアの私がそこまで語る資格もありません。しかし、アマチュアながら考えてみても、その可能性は低いと思います。

それは、このCDに収められている第23番の第2楽章で顕著です。クラヴィーア独奏の部分でオケが絡まない部分があるのですが、そこでは確かにクラヴィーアは非力で、聞こえにくいです。それでも、音を確認することはかろうじて出来ます。それが、一桁台の番号では全く聴き取ることが出来ません。かなりヴォリュームを上げませんと無理です。それは完全に解消されています。

となると、それは作曲技法ではないと、少なくとも協奏曲の歴史から考えますと断定できると思います。だからこそ、事典でも専門家が全く触れていないのだと私は思います。

せっかくいい演奏なのに、もったいない・・・・・これも聴くたびに思います。



聴いている音源
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
クラヴィーア協奏曲第22番変ホ長調K.482
クラヴィーア協奏曲第23番イ長調K.488
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ