今日のマイ・コレクションはシベリウスの交響曲第2番他です。指揮はヴラディーミル・アシュケナージ、オケはフィルハーモニア管弦楽団です。
これは私の初シベリウス交響曲です。やっぱり、素人だね〜、有名曲から入ったかという、ア・ナ・タ。それはあながち間違ってはいませんが、実はもっと違う理由からこの曲を選択しています。
当時大学3年生でしたが、この曲を選んだのは2番というのは確かにこの曲が一番有名だからですが、実はシベリウスがフィンランドの作曲家、ということと密接な関係にあります。つまり、この時期でもわたしはソ連が嫌いでした。その国土を踏みにじられた国、フィンランドの作曲家の作品、特に交響曲が聴きたい、と思ったわけです。となると、その作曲家はおのずとシベリウスになります。
ただ、当時まだ私はシベリウスのいわゆる独特の世界観にあまり共感していなくて、やっぱりフィンランディアのイメージから入ったのです。ですから、おのずと交響曲はこの第2番を選んだのです。つまり、かなり愛国心とか、人権とか、そういう方面からの関心から買った一枚なのです。
ところが、月日がたつにつれて、そのイメージは変わってゆきました。シベリウスの交響曲にはあまり共感を得なかったのです。この2番はかなり愛国心あふれるシベリウスの気持ちが反映されているはず、なのに・・・・・
フィンランディアの印象が強すぎたのかもしれませんが、今ではそれはもしかすると指揮者アシュケナージにも原因があるのでは?と思っています。その後、一応偶数番号は買っていますし、奇数もいくつかを同時鑑賞会等で聴いています。それでも、あまり共感を得ることができなかったのは、もしかすると本来、私の心をわしづかみするはずである第2番の解釈にその問題があるんじゃないか、と。
それが具体的にどの部分なのかはまだよくわかっていませんが、盛り上がりに欠ける部分があるんですね、この演奏。確かに第4楽章ではクライマックスで聴かせてくれますが、それ以前でもっと盛り上がる部分があるように思うのに、それがこない・・・・・
これ、楽譜にはどう書いてあるんだろう?と考えてしまうほど、好きなんですけど、じゃあ、第九や運命などと比べるとどうなのかといえば、聴く頻度は明らかに下がります。
でも、最近それ以外の曲はよく聴くようになっています。カップリングになっている「カレリア」組曲もそうですし、またトゥオネラの白鳥など、彼の幻想的な作品群などもよく聴くようになっています。でも、交響曲は・・・・・
いい演奏に出会っていないせいではないか・・・・・
もともと、買うときから実はあまりアシュケナージで欲しかったわけではありませんでした。彼の指揮者としての評判も当時からそれほどいいものではなかったですし。
あるいは、私の思い込みがいけないのか・・・・・実際、シベリウスは愛国心の高い人ではありましたが、もしかするとその表現は高揚するものではなく、もっと淡々としたものなのかもしれません。それが織り成す彼の世界の魅力に、少しずつ共感はして来ていますが、まだ気づいていないせいなのか。
ですので、最近では他の音源も買おうかなと考えているところです。果たして、シベリウス祭りが始まるような演奏と出会えるや否や!
楽しみです。特に、カップリングの「フィンランディア」はカラヤンの方が断然いいので当時からこの演奏は嫌いでしたが、今ではそれほどいやではない自分がいます。
ようやく、シベリウスが聴ける「時」が来たようです。
聴いているCD
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第2番ニ長調作品43
交響詩「フィンランディア」作品26-7
「カレリア」組曲作品11
ヴラディーミル・アシュケナージ作曲
フィルハーモニア管弦楽団
(ロンドン F00L-23070)