かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:ヤマトの音楽はすばらしいはずだ

昨年、私は久しぶりに映画館へと足を運びました。1年4ヶ月ぶりの映画館です。見た映画は、「宇宙戦艦ヤマト 復活編」。

ヤマトといいますと、その音楽が魅力的です。サウンドトラックもすばらしいものばかりで、未だに私は完結編のサウンドトラックを持っています。カセットであるにも関わらずです。

ところが、今回の作品は、音楽自体はすばらしいのですが、ファンとしてはいまいち物足りない部分がありました。いや、クラシックファンとしましてはとてもうれしいのですが・・・・・

というのも、今回の復活編は、クラシックが多用されているのです。

それ自体は、クラシックファンの私としましてはとてもうれしいことなのです。ただ、その音楽が果たしてスクリーンにぴったり合うかどうかは、みていてどうなのだろうと思ったのです。

例えば、移民船がブラックホールを避けるようにして連続ワープを行うシーン。敵の襲撃から移民船を守るため、ヤマトは身を挺して守ろうとしますが、そこで使われているのは、ベートーヴェンの皇帝です。

確かに、それ自体はすばらしい音楽ですし、ヤマトの英雄的行動を表すのに適しているとは思います。しかし、以前の作品であるならば、ここでとても印象的な独自のサウンド・トラックを持ってきたはずなのです。

ヤマトの音楽というのはある意味ワーグナーの楽劇でも一般的な「ライト・モティーフ」であり、その曲を聴きますとあのシーンだというのがわかるというのが特長でした。それが今回はほとんど旧作からの転用か、クラシックで補われているのです。

私も来月あたり、ヤマトのサウンド・トラックを買ってこようと思っていますが、ただ、使われている音楽は必ずしもそのシーンにぴったりと合っているわけではないなあとみていて思いました(見た方はお分かりかと思いますが、特に顕著だったのはグリーグのピアノ協奏曲です)。

ヤマトの音楽が私のクラシック好きをさらに高じさせた一因ではありますが、今回に関してはちょっと使い方が・・・・・と首を傾げざるを得ないシーンがいくつかあったのは事実です。

制作費の問題もあるのでしょうが、やはりヤマトの生命線は音楽なのです。それと、物語の壮大さ。そこにある人間ドラマです。だからこそ、音楽が非常に重要になるわけです。これは、オペラ好きな方には非常に理解できるのではないかと思います。

今回、そのどれもが中途半端だったのは残念です。次回作では、それが改善されるといいなあと思います。

完結編の冒頭部分、スキャットと伊武さんのナレーションであらわされる二重銀河の衝突。そして、そこに派遣されたヤマトが描かれるなんていうのは、本当に見る者をひきつけたものです。ですから、たとえ完結編だったとしても、2度も上映されたのにも関わらず、映画館には大勢のファンが集まり、2時間3時間待ちは当たり前という状態だったのです。

確かに完結編の場合、古代と森雪が結ばれるという側面もありましたが、それだけでものすごい人気になったわけではないのです。戦艦大和を宇宙に浮かべる、その意識が非常に高かったからこそ、すばらしいスペース・オペラになった側面もあるかと思います。今回はその意識がちょっと低いように感じました。

それが、音楽にも表れてしまったかなという点も感じました。

ただ、見た方はお分かりかと思いますが、今回の作品は明らかにこれで終わりというものではなく、続編があるよという終わり方だったので、次回作はもっと良くなると私は信じて待ちたいと思います。

クラシックファンからの要望としましては、クラシックを本編で使う場合には、やはり充分その曲の成立過程を勉強してから使って欲しいと思います。例えば、グリーグのピアノ協奏曲は完結編で言えば、アクエリアスへ近づくヤマトを描くシーンのなどの方が似合うのです。あの曲はグリーグが結婚してまもなくの作品であり、祖国愛と身近な人への愛にあふれた曲です。

使いどころというものがある、そう申し上げたく存じます。