かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:チャイコフスキー 交響曲第5番

今回の「マイ・コレクション」は、チャイコフスキーの5番です。指揮はリッカルド・シャイー、演奏はウィーン・フィルです。

この一枚は私にとってかけがえのない一枚です。実際、この演奏よりもすばらしい演奏を聴いたことは幾度となくあるのですが、それでもこの一枚を私は大事にしています。

まず、このCDは高校時代、授業で聴いた5番に感動して買った一枚だったということです。この曲に出会ったのは高校時代の音楽の時間内での音楽鑑賞ででした。全体的にちょうど授業時間で収まる演奏時間で、珍しく全曲を聴いたように記憶しています。

4番から始まる彼の後期作品群は私の心を捉えて離しませんでした。その中でも別格だったのが、この5番です。

4番は激しすぎ、6番は暗すぎ。5番はちょうど私の当時の心にぴったりでした。それは、今でもですが・・・・・

このCDの指揮者はシャイーですが、これは彼のデビュー盤でもあります。ですから、買うときにちょっと逡巡があった一枚ではあったのですが、結局この一枚に決めた理由は、演奏がウィーン・フィルだったからです。

当時、ウィーン響は同じチャイコフスキーで持っていましたが(先日挙げましたピアノ協奏曲です)、ウィーン・フィルは持っていなかったのです。実は、我家にはウィーン・フィルの演奏すらありませんでした。父が結構LPを持っていた、あるいはオープンリールの記録を持っていたにも関わらず、です。

そういう背景もあって、私はどんな指揮者でもいいから一度ウィーン・フィルの演奏を聴いてみようと思ったのです。それに、まだクラシック聞きかじりの自分がデビューしたての新人指揮者を評価できるわけでもないですし。

そうして買ったこの一枚は・・・・・ストライクど真ん中だったのです。熱い血潮が流れるような表現をしつつ、理性も失っていない。ホルンはまるで遠くの山から響いているかのように美しく、それでいて激しさもあります。

まあ、その理由をいろいろ考えて見ますとちょっと逆にネガティヴな部分も出てきますのでここでは取上げませんが・・・・・一言、シャイーという指揮者は偉ぶらない(というより偉ぶれない)、とだけ申しておきましょう。

この曲はチャイコフスキーの入水自殺未遂の後書かれていますが、そんな彼の心境もたぶんに反映されているせいか、4番に比べますとメロディアスなんですね。それが批判の対象にもなった曲ですが、しかしながら彼の室内楽なんかを聴いてみますと、必ずしもその批判は当たらないというのが私の結論です。結局、交響曲しか見なかったのでしょうね。

ベートーヴェンを聴いてみればお分かりかと思います。確かに、高貴さという点では交響曲も弦四も同じですが、その音楽はまるで違います。チャイコフスキーもそうなんです。そして、この5番に関してはかなり室内楽のような歌う旋律が多く使われています。その点が恐らく彼らしくないとの評価につながってしまったのだと思います。チャイコフスキー自身は全くそんなつもりではなかったようですし、私もそう思います。

ただ、彼は批評家の評価ですっかりこの曲に対して「だめだし」をしてしまいます。しかしながら、それを180度変えさせたのがドイツ、ハンブルクでの演奏会で、オケにも評判が良かったですし、さらにコンサートも大成功だったのです。

確かに、この曲はとても人懐っこいだけに、逆に薄っぺらいような感覚を受けると思います。しかしながら、私は人生の岐路、あるいは危機の時にこの曲で何度救われたかわかりません。第九の壮大な音楽だけでなく、チャイコフスキーのある意味非常に個人的な感情の発露にも何度涙を流し、救われてきたかわかりません。

そういう意味では、このCDはどうしても私にとってなくてはならない、人生のバイブルなのです。



聴いているCD
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
交響曲第5番ホ短調作品64
リッカルド・シャイー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(LONDON F35L 50109)
※今は廃盤みたいですねえ。いい演奏ですよ、これは。さすがウィーン・フィルというのを聴くことができます。なんといっても新人指揮者デビュー盤だというのに、それをほとんど感じさせません。