かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

想い:政策だけでは守れない

文化を守り、育てるためには、一体何が大事なのでしょうか。国の支援?

確かに、それも重要です。しかし、それよりもっと大事なのは、私たち文化を享受する側の気概なのです。

ヨーロッパでは何が行われてきたか。国の支援だけではなく、むしろ市民の側が自分たちのお金を使って来た歴史です。

国立歌劇場などは確かに国の支援なしには成り立ちません。しかし、もっと大事な点は、ヨーロッパはサロンという場においてクラシックを育ててきたという歴史です。18世紀には貴族が、そして19世紀以降は市民がその担い手でした。

日本のクラシック界はその歴史がまだ浅いのです。その分を無い財政の中、今まで国が「支援してくれた」のです。

そのことに感謝しつつ、自分たちでできることはやらないと、いざ国がそれをカットするというときに他の文化団体から理解を得ることは難しく、いわんや一般の人々から理解を得られることは不可能に近いでしょう。

実は、日本もそんな歴史が無いわけではありません。華道や茶道、俳句などの歴史を紐解けば、市民(日本史の中では町民)がその担い手となってきた歴史がそこにはあります。特に江戸時代はそれが顕著で、武士よりも町民がその担い手となってきたのは明らかです。

では、その時代政府は何もしなかったのかといえば、実は文化財保護では江戸幕府はかなり重要な役割を担っていました。それは文化史を紐解けばいくつも証拠はあります。特に明治維新のとき、新政府は何もやらないばかりか廃仏毀釈によって文化財保護の点から批判を浴びます。

今、その明治維新の時代と私はオーバーラップするように思えます。その点から言えば、民主党事業仕分けに何でも賛成しているわけでは決してありません。しかし、明治維新と明らかに違うのは、わたしたち一人一人が自分たちは文化の担い手であるという意識を市民レヴェルで持っていないという点だと思います。

私たちには大きな力があります。その力をもっと自覚すれば、現在の日本であればもっと文化を豊かにすることは可能です。

クラシックは確かにお金がかかります。例えば、オーケストラやオペラなどはその通りです。しかし、弦楽アンサンブルはそれほどかかるでしょうか。ピアノ一台はどうでしょうか。そんなにかかるわけがありません。そこへも私たちは税金でなんて思ってはいないでしょうか。

例えば、バンド。彼らは全く国の支援を受けません。自分たちで他に仕事をしながら活動しています。駅前でストリートライブを行いながら、徐々にファンを増やし、そのうちにライブハウス、そしてインディーズデビューして、後にメジャーという順序を踏むのが通例です。勿論、活動しているバンドがすべてメジャーデビューできるわけではありませんが・・・・・しかし、その活動自体が裾野を広くしているわけです。

同じことがクラシックにも言えます。実は、ヨーロッパのすばらしい点は、プロ以上にたくさんいるアマチュアの存在なのです。彼らの中にはプロを目指したものもいます。しかしその夢かなわず他の仕事に就いた人たちも大勢います。だからこそ、音楽に常に興味を持ち、自分たちが担い手だと思うからこそ、国にも支援を仰ぐわけです。自分たちではできない範囲もあるからです。それが国立歌劇場であり、オーケストラであるわけです。

私もアマチュア合唱団に所属していましたから、よくわかるのです。自分たちには税金などまず回ってきません。自分たちで自腹を切るのです。ですから、プロにも厳しい目を向けます。税金を受け取るのはいいが、果たしてそれがいい演奏、いい活動へと結びついているのか、と。

プロでもなかなか税金が回ってこない人たちもいます。そんな人たちへ私たちはどれほど支援をしているでしょうか。ピアニスト、声楽家、アンサンブルグループ、などなど・・・・・

予算カットがおかしいといえるのは、そういった人々に自腹を切って支援している人たちであると、私は思います。単に税金を払っているだけではだめです。

ヨーロッパでは、税金だけで無く自腹をも切って支援する伝統があるということだけは、私たちは知っておいていいのではないかと思います。