かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

マイ・コレクション:チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番、第3番

本日の「マイ・コレクション」は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と第3番です。これも高校時代に買ったもので、特に音楽鑑賞の時間に聴いてほぼ衝動買いだったと思います。

私の高校は国家の名を負うているのですが、その割には音楽鑑賞の時間はじっくりとクラシックを聴かせてくれました。第九まで流してくれたのは高校時代だけです(中学校はまったく聴く機会がなく、大学時代はルネサンス中心と聞いていたので当時は関心がなかったため一般教養で選択せず)。そのときに取上げたのがピアノ協奏曲第1番でした。

で、買いたくなってお小遣いを握り締めレコード店へ行ったのはいいのですが、これは買うのにかなり迷った記憶があります。その理由は、第3番がカップリングだったからです。

第3番?聞いたことないぞ・・・・・

いや、勿論当時第2番すら聴いたことはありません。わたしが第2番を聴くことになるのは、昨年の同時鑑賞会までなかったのですから。第3番はもっと聴いたことがなかったわけです。

しかし、この第3番が私を同時鑑賞会へと導くことになろうとは、このとき予想もしていませんでした。

第1番のゆったりとしたいかにもロシア的な演奏は私をいっぺんにとりこにしました。しばらくピアノ協奏曲といえばベートーヴェンの皇帝か、チャイコフスキーのこの第1番かでした。実際、この次に協奏曲を買うのは大学に入るまで待たねばなりませんでした。この指揮者とピアニスト夫婦の息の合ったアンサンブル。それに確実にあわせてゆくウィーン響。今でも第1番ではこれを推します。

しかし、このCDの特長はやはり第3番と言っていいでしょう。解説ではあまりいい表現で書かれていませんでしたが、そんなことをあまり感じさせないように当時は感じました。今では逆に名演だからこそ、この曲のすばらしさと物足りなさも同時に感じることができます。特に主題展開部でそれは顕著で、ちょっと無理しているような感じを受けます。

実際、この曲は交響曲第6番として作曲されたもので、それを破棄して第1楽章のみのピアノ協奏曲としたものです。全体的に不自然さがあるのは当然ですが、しかしながらそのチャイコフスキーの編曲さばきのすばらしさに触れるきっかけになったのもこの曲です。

2年ほど前、私はいろんな経緯があってmixiを休んでいて、復帰した時にマイミクさんから誘われた同時鑑賞会の演目に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第3番と交響曲第7番の文字を見つけました。私は即このCDの解説に目を通しました。そして、読後即決で参加表明をしたのです。これが現在私をいろんな曲に触れさせてくださる同時鑑賞会への参加のきっかけでした。実は私もこの第3番を聴いて、いつかは元の交響曲が聴きたいと思っていました。

それは実は西本氏の演奏をテレビで見ることでかなってはいたのですが、じっくりとしかもいろんな人と一緒に聴く機会がなかったのです。ようやくその機会が巡ってきた!と思いました。

そしてそれは、遠い昔の私の希望をも呼び起こしました。なら、第2番も聴きたい、欲しい・・・・・

それも、同時鑑賞会でかなうことになりました。実はこのCDを買うときに第2番のCDも全く同じ演奏家で出ていたのです。それを買うと決めていたのに、他の曲に目移りして結局かわずじまいになっていたのですが・・・・・その宿願が、何と県立図書館でかなうとは夢にも思いませんでした。それはまたの機会にお話ししましょう。

いろんな縁を結びつけてくれた、何ものにも替え難い一枚です。


聴いているCD
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー作曲
ピアノ協奏曲第1番変ロ長調作品23、第3番変ホ長調作品75
ヴィクトリア・ポスト二コワ(ピアノ)
ゲンナディ・ロジェストヴェンスキー指揮
ウィーン交響楽団
(LONDON F35L-50121)