大晦日、私は紅白だけでなく、NHK教育でN響の第九を見ていました。2009年の指揮者はクルト・マズアでした。
クルト・マズアといいますと、東独最後の日の第九演奏会で指揮をした人でもあり、またそれにつながるライプツィヒ・デモで主導的役割を果たした人でもあります。
そのクルト・マズアが指揮した第九は、テンポ的にも私好みだっただけでなく、あるメッセージを私たち日本人に残してゆきました。
それは、合唱団に子供を入れたことから読み取れると思っています。
通常、合唱団に子供を入れることはありません。特に、指揮者が嫌がります。日本で特に顕著ですが、子供は第九を理解できないから歌わせるべきではない、という考え方があります。
実は、私自身はそれに反対なのです。もっと子供にこそ歌わせるべきだ、と思っています。
子供は意味がわからないかもしれません。ただ、大人以上に必死に歌います。それが合唱団全体へと波及するのです。今回も、子供が入ったことで学生合唱団は目の色が変わっているのが明らかに見て取れました。
合唱は国立音大と東京少年少女合唱隊。国立音大は毎度のことかもしれません。しかし、東京少年少女合唱隊にとっては、恐らくはじめての第九だったことでしょう。そのことが全体に必死さを呼び起こし、演奏を引き締めていました。
実は、この編成は20年前、東西ドイツが統一された、その第九の演奏会の時と全く同じなのです。
今でも、私はそのヴィデオを持っていますが、少年少女合唱団の澄んだ声はヴィデオというアナログ音源であっても聞こえてきました。それに何度感動したことでしょう。
私たち日本人は今大事なことを忘れてしまってはいないでしょうか。政党を支持する前にもっと大切なことがあるように、マズアは教えてくれている、そんな気がするのです。もっと、必死になってみませんか、と。
マズアは、第九を演奏する日本を高く評価し、そのことこそ戦後世界第2位の経済大国を作り上げた原動力であると評価しているということを、私たちは深く胸に刻み込むべきだと思うのです。
このマズアのメッセージをどう私たち日本人が受け止めるのか、今年のテーマになるのではないかと思います。