かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:ベートーヴェン 大フーガ・運命、ルトスワフスキ 管弦楽のための協奏曲

さて、今回は私自身がその月に買ってきたCDを取上げます。今月は二つなのですが、予算の関係でバッハが買えなかったのが寂しいです・・・・それは、来月二つ買うことで埋めようと思います。

今月の二つのうち、一つは2枚組みで、今回はその2枚組みを取上げます。ここで2枚組みを取上げたのは初めてかと思います。指揮はスタニラフ・スクロヴァチェフスキ、オケはNHK交響楽団です。

スクロヴァチェフスキといいますと、ブルックナー交響曲全曲演奏でその名が有名ですが、実はこの方はそのまえにベートーヴェン交響曲全曲演奏で名をはせている方なのです。オーディオファンの方はそのあたりよくご存知かと思います。

まず、一枚目が、ベートーヴェンの「大フーガ」とルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」。大フーガは、ワインガルトナー編曲の弦楽合奏版です。実は、これにひかれてこのCDを買ったのです。運命はすでにマイミクさんから近衛さんをいただいていましたし、運命はいいかなあって思ったのですが、大フーガの弦楽合奏版などそうそう手に入る代物ではありません。思い切って買いました。値段も1000円でしたし^^

その「大フーガ」ですが、さすがワインガルトナーですね。すばらしい編曲をしているなあと感じます。オケで演奏するとなると壮大な音楽になるのでは?という不安が付きまといますが(つまり、まったく別物になるという不安ですね)、そんなことがほとんどないのです。うまく原曲の弦楽四重奏曲の雰囲気を出しているなあと思います。その上で、弦楽合奏のよさも出している曲に仕上がっています。もしかすると、それはオケがN響であるということも関係しているかもしれませんが・・・・・

N響のよさとして、やはりアンサンブルのよさがあげられます。いいアンサンブルだからこそ、この曲のよさを十二分に引き出していると言っていいと思います。実際、原曲の弦楽四重奏曲でもこれは大変難しい曲ですし、それは前にスメタナ四重奏団の演奏を取上げたときに、アルバン・ベルクと比較して述べたように、たった4つの楽器でもアンサンブルが合わないと崩壊してしまうのです。ましてや、それがオーケストラだったら・・・・・

スクロヴァチェフスキのいいテンポも、それを後押ししています。それほどテンポは変わらないのですが、中間部でゆっくりする場面では原曲よりも遅めに振っています。その上で、速い部分への切り替えがとてもよく、全体的にとてもよくまとまっています。ブルックナーを聴いたときにも感じたのですが、スクロヴァチェフスキは本当に統率力とバランス感覚に優れているなと思います。

その次は、ルトスワフスキの「管弦楽のための協奏曲」。この曲は私ははじめて聴くだけでなく、ルトスワフスキという作曲家の音楽自体はじめて聴いています。新古典主義の作曲家で、20世紀のポーランドで活躍したルトスワフスキ。といっても全体的にやはり20世紀の前衛音楽の影響を受けている曲です。ただ、構成的には新古典主義ですので、形式がきちんとしています。まず、第1楽章「序曲」はA−B−Aの三部形式となっていて、その形式のなかに前衛音楽が鳴っている、というないようです。

特に、この曲に関してはバルトークの影響を受けているせいか、前衛的でかつ民俗的な音楽になっています。確かに、前衛的な音楽の中に時折懐かしい旋律が混ざってきます。しかし、全体的にはやはり前衛的な音楽になっています。

第2楽章はカンタービレ楽章ですが、歌っているのかなあという感じですね。鋭い音楽が連なり、まるで夜の不安を表現しているかのようです。ただ、民俗的な旋律が出てくることで、かろうじてカンタービレになっています。ただ、これもスケルツォになっている点で、形式的にはきれいなものになっていて、その分私にとっては聴きやすい音楽でした。前衛的な音楽って、私はどうしても生理的に合わないのです・・・・・

第3楽章は、パッサカリアとコラールなのですが、音楽自体はやはり前衛的。それでも、バッハの時代のような旋律が入ってきたり、パッサカリアらしい構造が出てきますので、何となくそのまま聴けています。このあたり、やはり形式って大事だなあと思います。それでも、やはり前衛音楽というのは、やっぱり生理的に受け付けませんね〜まだ、スクリャービンの方が私は聴けます。

しかし、そんな音楽をN響はよく表現していますね。もともとドイツ物が得意と言われて久しいですが、そんなことはないよと主張しているかのようです。それは恐らく、スクロヴァチェフスキの統率力も影響しているのだと思います。そして、大フーガでも述べましたが、N響のアンサンブルのよさがなせる業だと思います。とりあえず、ここまで私は聴けているので・・・・・しかも、それほど我慢せず。こういう演奏は随分久しぶりに聴いたような気がします。ルトスワフスキのほかの音楽も、機会があれば聴いてみたいと思いました。

さて、2枚目が、ベートーヴェンの「運命」。まず、第1楽章は冒頭圧倒されます。少し早めのテンポですが、フェルマータ部分は伸ばしています。それでも、近衛さんと比べますとちょっと短いかな・・・・・でも、最近の演奏の中ではきちんと伸ばしているほうだとおもいます。だからこそ、速いテンポが逆に緊張感となって迫ってきます。

このあたり、なぜベートーヴェンフェルマータをおいたか、だと思うのですね。ピリオドですとどうしても音が伸びない。ですから、ここは絶対に伸ばしてくださいねという意味でベートーヴェンフェルマータをつけたのだとわたしは思います。ですから、モダンであれば、やはりかなり伸ばさないと奇異に感じるのだと思います。実際、ピリオドですとそれほど伸びなくても奇異に感じません。それでも、もう少し伸ばして欲しいと私などは思ってしまうのですが・・・・

ということは、もし今ベートーヴェンが生きていれば、昨今のフェルマータを伸ばさない演奏には、激怒するかもしれません。そんなことを教えてくれる名演ですね。この部分だけでも、スクロヴァチェフスキの譜読みの深さを感じます。ただ、N響はほんの少しだけですがアンサンブルが崩れてしまっていますが・・・・・ただ、問題になる程度ではないです。すぐそれは修正されています。

繰り返しをきちんとしており、私好みです。実は、私は繰り返しはできるだけして欲しい人でして・・・・・まあ、しなくてもかまいませんが、しないでフェルマータも伸ばさないってことになると、ちょっとなあって感じになります。そんなに急いでどこへ行く、って感じです。桃鉄キングボンビーのように「フェルマータへよっていけ!それまでは毎月2億円徴収するぞ!」といいたいところですね(すみません、ゲームネタで)。

第2楽章はうって変わって、ゆったりとしたテンポです。それでいて緊張感がみなぎっています。スクロヴァチェフスキの指揮はもっと聴きたくなりますね。この楽章も昨今は急いで演奏してしまうものが多い中で、私は親しみを持ちます。金管が歌う場面がありますが、実はそこで弦はかなり急いだパッセージなのです。これこそ、モーツァルトでも言及しましたリズムとメロディのバランスのよさなのです。そこをあまり急いでしまうと目立たなくなってしまいます。それはこの曲のよさを私は殺している、そう思います。

メリハリも利いていて、テンポ的に驚く部分もありますが、これほど充実した演奏を聴くのは、私としては小澤/サイトウ・キネン以来です。うーん、この人の指揮はもっと聴いてみたい・・・・・本気でブルックナー・チクルスを彼の指揮で欲しくなりますね。勿論、ベートーヴェンも。

さて、そうなりますと期待したいのが第3楽章と第4楽章なのですが、第3楽章も昔風のいいテンポで入りましたね。指示はアレグロですが、だからといって急すぎてはいけません。このあたり、とてもいいテンポ感覚をお持ちですね、スクロヴァチェフスキは。それにここでは完全にN響もアンサンブルが復活し、生き生きとしています。ただ、繰り返しがないのは残念なところ。ただ、それは演奏自体を決して貶めるものになっていません。いい緊張感がみなぎっています。もしかすると、スクロヴァチェフスキは昨今の演奏に対するアンチなのかもしれません。

それは、第4楽章のファンファーレで顕著です。充分に金管を鳴らし、その上でゆったりとしたテンポで入ります。私はもう少し速いテンポが好きなのですが、それでもまったく不満ありません。かっちりとしたすばらしいアンサンブルを聴くことができますし、それが胸に迫ります。海外オケだけがいいんじゃないぜ!って思います。

この第3楽章と第4楽章は徹底的に繰り返しがないですね。それは実は近衛さんとまったく同じであるということに気づきます。スクロヴァチェフスキの信念をここで聴くことができるように思います。モダンの演奏はいかにあるべきか・・・・・考えさせられます。性能がいいということをどのように捉えて、表現するか・・・・・これは、恐らく21世紀を生きる私たちに課せられた命題なのかもしれません。ピリオドの演奏を知った、この世代の責任として。

そんな思いを抱かせる、すばらしい演奏です。名演、と言っていいのではないでしょうか。


聴いているCD
ベートーヴェン「大フーガ」・ルトスワフスキ管弦楽のための協奏曲」
ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
スタニラフ・スクロヴァチェフスキ指揮
NHK交響楽団
(Altus ALT031・032)