かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ曲ハ短調K.427(417a)

さて、今日はモーツァルトのミサ曲へと戻ります。今回はK.427、いわゆる「大ミサハ短調」です。

大ミサというだけあって、演奏時間も55分台と長く、モーツァルトの中でも一番巨大なミサ曲です。それが、未完とは・・・・・

そう、この曲は未完なのです。ただし、初演の記録が残っていますので、作曲当時も未完だったかどうかはわかりません。ただ、クレドは明らかに途中で終わっていますので、未完であることは確かなのですが、初演時には何かほかの曲を流用した可能性は否定できません。

つまり、レクイエムと違って、本当に未完のまま現在まで残された曲です。そういう意味では、純然たるモーツァルトが書いた最後のミサ曲、といえるかもしれません。一応、完全な形になっているのは、キリエ、グローリア、サンクトゥス、ベネディクトゥスです。クレドは途中まで、アニュス・デイはありません。

ただ、ウィーン時代で残されている作品はあとレクイエムだけですが、実際には多くの断片が残されており、現在ではザルツブルク時代並みに作曲されていたのではないかという判断になってきています。ここでは取上げませんが、実際ウィーン時代のキリエ等断片を聴いてみますと、その美しさは秀逸で、一つでも全体が完成して残されていれば、どんなにすばらしい作品になったであろうかと残念でなりません。

この大ミサも、キリエ、グローリア、クレドとそれぞれ堂々たる前奏がつけられており、そのうえでザルツブルクで身に着けた「コンパクト化」を応用し、緊張感の中に平明な音楽を鳴らしています。その上で、フーガを多用することにより音楽はさらに高貴さを増しています。オペラ的な部分も一部ありますが、それは当時の好みでそうなっているわけであり、けっしてモーツァルトの精神性が低かったというわけではありません。それはクレドを聴きますとすぐわかります。堂々たる前奏とその後に続く合唱。それを聴きますと、低俗などとはいえないと思います。

さらにそういえるのは、サンクトゥスとベネディクトゥス。彼のフーガの極致です。その上で、重唱やカノンも多用し、また音楽的にもリズムとメロディのテンポバランスがよく、純然たるミサ曲としてはほぼ彼の作品中最高クラスと言っていいでしょう。本当に未完であるのが悔やまれます。

勿論、この曲は後世の学者が補筆を試みています。一番有名なのはバイヤーでしょう。実際、私が聴いているモダンの演奏はバイヤー版を採用しています。しかし、あくまでも足りない部分を補うのではなく、校訂にとどめています。そのために、モーツァルトが書いた本当の姿を見ることができます。

構成的には、昔へ戻ったような細かい部分に分けての作曲になっていますが、それは当時バッハの作品に触れた影響でしょう。その上、ザルツブルク時代のような作曲における規制がなくなり、彼は心の赴くままに作曲ができたわけです。ウィーンで受け入れられ、かつ自分の表現を追い求めていった、そういう音楽であることは明快です。

その表れを、私は主調であるハ短調に感じることができます。普通、ミサ曲では何度も通常主調としてはハ長調を使うと述べてきました。彼の今までのミサ曲をもう一度見ていただければよくわかります。それが、ミサ・ソレムニスであるにも関わらず、ハ短調を主調をしているのです。ここに、当時の彼の音楽でも多用されている短調を主調として使う、つまりキリエをハ短調で作曲することによって、この曲に高貴さと神々しさを与えようとしていることがはっきりと見て取れます。

特に、彼の個人的な感情、特に父親との関係がそこにはっきりと反映されるときには、短調を使うことが多いことはすでに学者において明らかにされています。この曲もどうやら父親の反対を押し切ったコンスタンツェとの婚姻がきっかけであった様で、それは手紙にも言及が残されています。そうなると、この曲がまずハ短調で作曲され、その後グローリアでハ長調へと転調することも納得できます。父親との確執をキリエで表現し、その後のコンスタンツェとの結婚をグローリアで表現しているとも言っていいのではと思います。

つまり、この曲は彼にとっては婚姻ミサ曲とも言うべき作品であったが、完成しないまま初演を向かえ、恐らくほかの作品を流用して全曲を演奏した・・・・・という作品だったのではないか、と考えることもできるように思います。彼にとっては、恐らくグローリアまでが全てだったのかもしれません。勿論、そうではなかったということもできます。彼は頭から必ずしも作曲しませんでしたから。しかし、ミサ曲の要クレドが未完であり、アニュス・デイは作曲されず、そのほかは完成していることを考えますと、そんな背景も浮かび上がってくるのです。

確かに、グローリアはまるでバッハのミサ曲ロ短調のようにグローリアが長いのです。ロ短調ミサに範をとったかのように・・・・・そう考えますと、彼がバッハのミサ曲ロ短調を参考にして、自らの結婚を祝うようなミサ曲を書きたいと思っても、不思議はないように思うのです。その上で、とにかくグローリアに全てをかける・・・・・なぜなら、それは父親との確執の上での、彼の勝利だったからです。

ですから、クレドよりも、彼にとってはグローリアが重要だった、と考えることもできるかと思います。それはクレド磔刑の場面から復活の場面という、ミサ曲で一番ドラマティックな部分が抜け落ちている、ということからも私は推測できるように思うのです。

つまり、彼は書いているうちに、自分は何を書いているのかわからなくなっていたのではないか、とも思うのです。実際、クレドの最初の部分の音楽はとてもすばらしいものです。もしかすると、本当はそこで神に二人の永遠の愛を誓いたかったのかもしれません。しかし、どう考えてもそれが磔刑の場面から復活という展開において、しっくりと来なかった・・・・・なので、途中でやめ、ほかの曲と差し替えた、という可能性はかなりあるだろうと、私は思います。

やはり、ミサ曲は個人を賛美するものではなく、神を賛美する曲ですから。

そのあたりの整合性をつけ、乗り越えたのが、恐らくベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」であったろうと私は思っています。