かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ・ブレヴィス ハ長調K.258

モーツァルトのミサ曲を取上げるシリーズ、今回はK.258です。実は、この200番台は名作ぞろいです。どれを聴いても損はないと、申し上げてもいいでしょう。

まず、その先頭バッターがK.258です。この曲は彼が今まで行ってきた「端折り」の極地とも言うべき作品です。総時間は16分と前2作よりは短くなっていますが、前2作よりもさらに充実した内容になっています。

いきなりトゥッティで始まるキリエ、やはり短いグローリア、短いながらも磔刑の場面と復活の場面がきちんと分けられ、その展開がドラマティックなクレド、繰り返しがなされているサンクトゥス、合唱をまるで通奏低音のように使って独唱を際立たせているコンパクトなベネディクトゥス、そして、全体の中で最もゆったりとしているアニュス・デイ。

随所に彼が短くしようとする工夫を見ることができます。その上で、明るく、伸びやかで、美しさをも兼ね備えます。

というこの曲はいわくつきの曲でもあります。長い間、モーツァルト家に親しいイグナーツ・ヨーゼフ・フォン・シュパウア伯爵の名誉司祭就任式のためのミサ曲、いわゆる「シュパウア・ミサ」ではないかと言われてきた曲です。しかし、新全集では明確に否定されました(「モーツァルト事典」P.38)。しかし、CDDBではなぜか、シュパウル・ミサってデータが引張られてくるんですよね・・・・・

つまり、まだ曲は世の中では「シュパウル・ミサ」として人口に膾炙されていると言っていいでしょう。一応、私はそれは否定されていますよ〜と言っておきます。

そして、注目なのはこの曲がハ長調であるということです。ミサ・ブレヴィスでハ長調を使うのは珍しいですね。どういう経緯でハ長調を選択したのかはわかりません。ただ、編成的にこの曲はミサ・ソレムニス、つまり通常の「ミサ曲」でもいい編成になっています。もしかすると、本来この曲はミサ・ソレムニスとして書かれたのではないかという推理も成立します。特にその片鱗をクレドに見ることができ、その部分が聴き所でもあります。

それは、ミサ・ブレヴィスにしてはキリストの磔刑から復活の場面が丁寧に描かれている点です。今までの曲では、短くするためにこの部分は一気に演奏できるように短く書かれていました。それが、この曲では磔刑の場面と復活の場面との間に全休符が入ります。完全に二つの場面を分けています。これはミサ・ソレムニスで行われる構成です。

ですので、この部分をはじめ作曲していて、それはミサ・ソレムニスとして完成させるつもりだったが、急遽それはミサ・ブレヴィスへと変更になった、と考えればつじつまが合います。そして、それ以外は完全にミサ・ブレヴィスらしい構成になっているのも。

こういうことはモーツァルトは良くやります。いつも頭から作曲していたわけではありません。仕上げはあたまからやられていたのは良く知られていますが、ピアノ協奏曲の時にも述べましたが、彼もベートーヴェン同様にスケッチをつけて、曲の構成を練っていたことが知られています。そのとき既にスケッチにはミサ・ソレムニスとしてハ長調で考えていたけれど、それが実際に作曲する段になってミサ・ブレヴィスへ変更になった可能性は否定できないと思います。

全体的には、フーガがなくカノンと重唱で処理されている点はどこから見てもミサ・ブレヴィスですが、ハ長調という調性のせいか、とても堂々としていて、かつ明るく伸びやかな点は、聴く人にさわやかな風を呼び込むでしょう。転調にもさらに磨きがかけられ、よくわたしたちが聴くモーツァルトのイメージにより近いのではないかと思います。