かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ・ブレヴィス ト長調K.140(Anh.C1.12)

モーツァルトのミサ曲を取上げるシリーズ、今回はK.140を取上げます。この曲は一時期偽作といわれていた曲で、近年の研究で真作であることが確められた珍しい曲です。

田園風という標題がつくこともある曲で、確かにモーツァルトにしてはのんびりしすぎる点もありますが、しかしこの時期のミサ・ブレヴィスとすればのんびりとしているのはさしておかしいようには私には感じませんでした。かろうじてそう感じるのは、サンクトゥスやベネディクトゥスでの「オザンナ・イン・エクシェルシス」の部分だけです。

それ以外はある意味簡潔にするためぶった切られたような音楽が多く、何でこれが偽作にされたのかがよくわからない曲です。まあ、学者がそう始めは言ったのですから、それなりに疑わしい部分があったのでしょうが・・・・・

私はそれほど疑義をさしはさめませんでした。まあ、それほど詳しいのかといわれれば確かに研究者ほどではないのは確かですが・・・・・

それは、今後取上げます「すずめミサ」を聴きますと、よくわかるのです。同じような雰囲気でありながら、それは真作とされたのですから。特に私としましては、雀ミサを歌ったことがあるだけに、ほんのある一点だけで偽作としてしまうのは、いかがなものかと思います。

そういう意味で、ケッヒェルが疑義ありとして完全に偽作としなかったのは、私は正しかったと思います。

全体的にのんびりとしたまさしく「牧歌」です。クレドの入りもとてものどかで、信仰告白というにはかなり穏やかです。それゆえにこの曲はクリスマス用だったのではないかといわれるくらいです。確かに、全体を貫き3拍子なので・・・・・

ただ、この曲は詳しく見ていきますと、モーツァルトの苦労がよく見える曲です。グローリアは簡単に終わろうとしますし、またサンクトゥスでは慣例のサンクトゥスの呼びかけが1回しかなく、反復していません。いかに端折るか、それだけに心血を注いだことがこの曲からはよくわかるのです。

今回もコレギウム・カルトゥジアヌムとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと二つの音源を聴いて書いていますが、どちらも総時間はほぼ15分。二つを聴いても31分ほどで終わってしまいます。30分は最低でもかかるようなものを15分へ縮めるのは誠に苦労の連続で、彼も手紙に愚痴をこぼしています。

モーツァルトのミサ曲、特にミサ・ブレヴィスを聴きますと、天才と言われるモーツァルトにコレほどまで苦労した、いわゆる「下積み」時代があることに驚かされ、またそれを乗り越えてゆく過程で励まされる部分があるのです。この曲はその苦労がよくわかる曲でもあるのです。

まあ、いつもどおり彼は「こんなの朝飯前っすよ〜」って感じで仕上げていますけどね。でも、裏を知りますと私にはそれがそのようには感じることができないのです。涙すら、出てくるのです。ああ、あなたにも苦しい時代があったのですね、と・・・・・

そう、モーツァルトは意外や意外、苦労人なんですよ。