かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ曲ハ長調K.66「ドミーニクス・ミサ」

今日は、K.66「ドミーニクス・ミサ」を取上げます。この曲は友人カイエターン・ハーゲナウアーがベネディクト派聖ペテロ修道院の新任司祭として始めて執り行うミサのためにかかれましたが、大司教コロレドの言いつけどおり、全体をほぼ35分で終わるように構成されています。ただ、この曲はミサ曲であるがため、全体的にモーツァルトらしい伸びやかな音楽が流れています。

ミサ・ブレヴィスのような窮屈さがないので、とても聴きやすいかと思います。ただ、まだ少し音楽の感じは硬めで、それは特にサンクトゥスのオザンナの部分に現れます。

しかし、一番の聴き所は復活の場面「エト・レジュレクシット」です。この場面の転調はすばらしく、何度聴いても美しいです。その前の十字架につけられしの場面も深刻な様子がひしひしと伝わってきます。その前のミサ曲と比べますと、その差を歴然と感じます。

やはり、それほどコロレドの課題は天才モーツァルトをしても厳しかった、ということになろうかと思います。

ただ、部分部分でやはり無理して作曲しているなあという点があり、僕も大変なんだというモーツァルトの独り言が聞こえて来そうです。

ただ、八分音符と長音符とのコントラストはやはりさすがです。それがよく聴けるのが最後のドーナ・ノービス・パーチェムです。

八分音符の生き生きとした部分と、二部音符などの長音符の使い分けがすばらしく、それが曲にメリハリをつけています。それがこの曲の魅力です。

私は彼のミサ曲の中でもこの曲は好きな曲の上位に入る曲です。メリハリの聴いたリズムと息をもつかせない転調、そして伸びやかで明るい曲調。聴けばいやなことも吹っ飛んでしまいます。

この曲はまだ各楽章が細切れになっていて、流れていないのが特徴です。それゆえに少し古めかしさを感じるのは否めません。しかし、すでにミサ・ブレヴィスで課題を達成しようと前向きに動き始めたモーツァルトの自信をひしひしと感じます。

しかし、そんな中でもやはり短調が味わい深くなっているのがすばらしいです。堂々としていてかつ自然。それはものすごい成長です。もしかするとそれはやはりこの曲がミサ曲であるということが原因なのかもしれません。これがミサ・ブレヴィスだったら、一体どうなっていたか・・・・・

オケの構成では、ヴィオラが入っているのが特徴です。ブレヴィスでは抜かされますので・・・・・それが深みへつながっているように思います。

そう考えますと、やはりこの曲がミサ曲であって、ミサ・ブレヴィスではないということがいい方向へ働いているのは間違いないように思います。やはりまだミサ・ブレヴィスではかなり無理をしていますから・・・・・