かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ曲ハ長調K.220「雀ミサ」

モーツァルトのミサ曲を取りあげるこのシリーズ、今日は「雀ミサ」を取上げます。

ケッヘル番号が若くなっていますが、それはこの曲がはじめもっと若く考えられていたのが、新全集でもう少し後とされたからです。

確かに、構成から言えばこの時期と考えられなくもなく、それはそれで妥当だとは思いますが・・・・・私としても、果たしてそれが本当に合っているのかどうかはよくわからないと思います。

それにしても、この曲が「ミサ・ソレムニス」とは・・・・・時間にして、ほぼ18分です。私が聴いている音源二つはさらに早く、16分ですし、表記も「ミサ・ブレヴィス」です。

そもそも、この曲は残された楽譜にもミサ・ブレヴィスの記載があるので、私もミサ・ブレヴィスなのではないかなあと思います。つまり、今まで出てきた「はじめはミサ・ソレムニスとして構想されていたけれども、実際はミサ・ブレヴィスとして作曲された」作品なのではないのか、と思います。

というのも、この曲は確かにソレムニスというにふさわしい前奏がキリエについています。しかも、それは堂々としたもので、約16分〜18分ほどの曲とは思えないくらいです。オケにはトランペットもつき、テンポもゆったりとしていて、確かにミサ・ソレムニスです。

しかし、特にクレドの構成を見てみますと、やはりミサ・ブレヴィスです。切り詰めるだけ切り詰められ、フーガも使われず、カノンや重唱を多用する様式はミサ・ブレヴィスです。

ここまで来ますと、もうどれがミサ・ソレムニスかミサ・ブレヴィスかはわからなくなります。オケの編成や、クレドの構成、そして何よりも楽譜になんと書いてあるのかで判断するしかなく、なんとも苦しいところです。しかし、それを求めたのがコロレドだったわけです。

いかに、モーツァルトに課せられた課題がとんでもないものであったか・・・・・それでも、彼は黙々と課題をやり遂げてゆきます。その一つの名曲だと言っていいでしょう。

この曲が雀ミサと名づけられているのは、サンクトゥスとベネディクトゥスにヴァイオリンが雀の鳴き声のような音形を奏でるからです。それがまたかわいらしく、全体的にも明るい曲です。

その曲は初めから真作とされました。K.140の時にも触れましたが、それゆえに何でK.140に疑義がさし挟まったのか、もう少しわかりやすい解説が欲しかったなあと思います。多分、和声の関係だとは思いますが、それは初期の作品はどれもその可能性は抱えていますから・・・・・

この曲も歌ったときにネックになりましたのは、サンクトゥスとべネディクトゥスでした。彼のミサ曲全体に言えることなのですが、八分音符を多用しています。実は、これもテンポを速めるので時間短縮の効果があります。ところが、歌うほうはそこがとても難しいのです。それは、この曲が宗教曲であるということがどうしてもあたまにあって、リズムに乗ることがなかなかできないのです。

それは、とても日本人らしい生真面目な点なのですが、しかしうまくリズムに乗れなければ、モーツァルトが書いている音楽をきちんと表現できなくなりますから、八分音符をノリノリで、かつ理性的に歌わないといけないのです。そこがとても難しい点です。

特に、この雀ミサはキリエがゆったりと始まるだけに、そのあたりの切り替えがうまくできませんと、単に美しい曲で終わってしまいます。いや、プロならまだそれで済みますが、アマチュアは完全に音楽が破綻しかねません。

そこが、この曲がもつ難しさであり、同時に魅力なのです。