かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ミサ・ロンガ ハ長調K.262(246a)

今日は、ミサ・ロンガK.262を取上げます。さて、ミサ・ロンガと今まで使ってきたミサ・ブレヴィスとミサ曲(ミサ・ソレムニス)とは違った名称が出てきましたが、実はこのミサ・ロンガ、ミサ・ソレムニスとほぼ同義です。ただ、ミサ・ソレムニスですと独唱部に長大なアリアが与えられますが、ロンガではそれがないことが特徴です。そして、それがこの曲の特徴にもなっています。

そして、いわゆるミサ曲らしい壮麗なフーガを兼ね備えるという、形式的にはミサ・ブレヴィスとミサ・ソレムニスの中間のような曲です。

しかし、一応ミサ曲、つまりミサ・ソレムニスに準じるわけなので、演奏時間は長く、30分ほどかかります。「モーツァルト事典」で記述されている標準時間は31分、私が聴いているウィーン・コンツェントゥス・ムジクスで29分台と、30分前後です。これだけかかる曲は随分と久しぶりで、それ以前ですとK.167「聖三位一体の祝日のミサ」までさかのぼらなければなりません。約2年前くらいになります。ほぼ2年間、ミサ曲では30分ほどかかる曲は生み出されていないということになります。

しかも、この曲は記録を追いますと、もしかすると「シュパウア・ミサ」かもしれない曲で、確かにそれにふさわしい堂々たる内容です。特に合唱部分が多いのは合唱好きにはたまりません。特に、私は合唱団にいたときにこの曲を定期演奏会の演目にと進言したこともあります。それだけ合唱部分にヴォリュームがあり、独唱よりもはるかに目立ちます。

白眉はやはりクレドで、特に聴き所は磔刑の場面から復活へという流れにおける展開です。ここでは休止はありませんが、テンポを変えるという手法でコンパクトかつドラマティックな展開を実現しています。キリエにはきちんと前奏があり、しかも合唱はフーガで出るという、今まではやらなかった手法を試しています。フーガを使うこと自体はべつに珍しいことではありませんが、彼がミサ曲で、しかも冒頭から使うことは非常に珍しいことです。

フーガにせよ、カノンにせよ、実はその美しさは数学的なものです。例えば、数学で2+2=4、ですね。それを音符をいじくることで1+3=4、とするのが基本的にフーガです。カノンは2+2=4のまま追いかけてゆく、という形です。いずれにしても、これを使いますと曲に変化がおきますし、またフーガは堂々たる音楽になります。

この曲はそのすばらしさが明るい曲調でちりばめられています。フーガもほとんどの楽章で使われており、彼のミサ曲の一つの転回点と位置づけてもいいのではと思います。

音符も八部音符を多用したシンコペーションが少しずつ使用されるようになっていて、彼のミサ曲の一つの方向性を示しています。このシンコペーションがとても歌うほうとしては難しいのです。とてもリズムに乗りにくいのです。長音符と短音符のリズムが一定でないのです。そこで、数学的な思考をしないとリズムが狂うことになります。そこに歌うほうには難しさがあるのですが、一方、それが美しい形となって表れるため、聴くほうとしてはたまらないのです。

しかし、では重唱部分はないのかといえば、実はほとんどが重唱です。この曲もコンパクトという基本理念は貫かれています。その上で、時間が長い分、フーガやシンコペーションなどを多用し、非常に明るく壮麗で、華やかさすらもつ曲に仕上がっています。

冒頭、独唱部分が少ないことが特徴であると申しましたが、それを存分に味わえるのがベネディクトゥスです。通常、ここは独唱が主で、長いアリアが充当される場所ですが、この曲では独唱は合唱の導入でしかありません。サンクトゥスの壮麗さをそのまま引継ぎ、美しい旋律です。それはアニュス・デイでも同じで、徹底されています。

まさしく、貧乏合唱団向け・・・・・とは行かないでしょうね。やはり、オケの編成はそれなりにヴォリュームがありますから。といっても、ミサ曲の編成というのは交響曲に比べますと実は小さいんですけどね・・・・・まあ、独唱部も合唱団から出すのであれば、「聖三位一体の祝日のミサ」と同じくらいのコストパフォーマンスでやれるでしょう。

そういう意味では、全てのアマチュア合唱団にとって、一度はお勧めしたい曲です。残念ながら私はこの曲を歌う機会には恵まれませんでしたが、力のある団体なら、きっとやれるはずだと思います。楽しいですよ、モーツァルトは。ただ、それゆえに難しさもありますが・・・・・

レッツ、チャレンジ!是非一度、お試しあれ。