かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:バッハ・カンタータ全曲演奏シリーズ27

さて、今日は久しぶりにその月に買ってきたCDを取上げる本来の趣旨どおりにご紹介することができます。先週買ってきましたBCJのバッハカンタータ全曲演奏シリーズの第27集を紹介します。

今回は国内盤ではなく、輸入盤。というより、もう3つ連続で輸入盤なんです。国内盤はそもそもBCJってそれほど多く作らないんですよね。まあ、それほど日本にはキリスト教徒がいないことと、その中でもバッハを聴く、つまりプロテスタントがすくないということもありますが・・・・・

でも、私のような仏教徒も聴くわけですから、もう少しだけ国内盤も用意して欲しいなあと思います。

まあ、3年位前に出されたものを今頃買っている私が悪いんですけどね・・・・・

収録されているのは、カンタータ第80番「われらが神は堅き砦」、カンタータ第5番「われらはいずこにか逃れゆくべき」、カンタータ第115番「備えて怠るな、わが霊よ」の3曲です。

まず、カンタータ第80番ですが、これはライプツィヒ初稿とCDにはかかれてあります。この曲はヴァイマール時代に演奏された「すべて神によりて生まれし者は」BWV80aのライプツィヒにおける発展的改作だそうで(東京書籍「バッハ事典」P98〜P99)、なるほど、ちょっとこの時期(1724年)の作品とは違う雰囲気を漂わせています。

それでも、いきなり混声4部ででる部分など、初期の作品と比べると違う点があります。

曲の内容はバッハがルター派であるということを強く押し出したもの(最初のコラールがルターのもの)なんですが、しかしBCJの演奏はそんな厳しいものではありません。むしろ明るいくらいです。そこに宗教的な意思を強く感じます。

カンタータ第5番は、テーマが「贖罪」と、これもキリスト教らしいテーマです。音楽もとてもやさしく、特にこの演奏ではテノールゲルト・テュルクがとても似合っています。バスのペーター・コーイもすばらしいです。二人ともやわらかい声質が私は気に入っていて、聴いていてとても気持ちがいいです。とても前向きになれますね。

最後はきれいで生真面目なコラールでしめてくれます。

カンタータ第115番は、人を許しなさい、さもなくば天の父が許さないだろうという趣旨の福音書に基づいていますが、そんな厳しい面はまったくなく、第1曲目などは明るく晴れやかなほどです。私などはなんとなく武士道にも通じるなあと感じてしまいます。潔さというのでしょうか。そういうものを音楽から感じます。

しかし、第2曲目にはかなり暗めの深い曲をおき、前二つのカンタータとは違った雰囲気になります。おそらく、BCJ、特に鈴木雅明氏がなぜこれを最後にもってきたのか、何となくわかる気がします。

何となく凛としたものを、この曲には強く感じます。勿論、これはどのカンタータにも共通するのですが、この曲からは特に感じます。

もしかすると、それは熊野信仰をつかさどる家柄であった、鈴木という「氏」の出自と関係あるのかもしれませんが・・・・・定かではありません。でも、演奏には反映されているような感じを受けるのは、私一人なのでしょうか。

私も熊野へ行ったときに感じたのですが、熊野という土地に行きますと、何となくバッハが聴きたくなるんですよね。それは不思議でした。まったく違う宗教なのに・・・・・

こういう厳しさと明るさ、晴れやかさが同時に存在する曲というのは後の作曲家ではなかなかないような気がします。もちろん、まったくないわけではありませんが、それでも数は少なくなります。ベートーヴェンまででしょうか・・・・・

ロマン派の甘く、また神々しい旋律も勿論好きですし、特にブルックナーはすっかりはまっています。しかし、バッハの凛とした、厳しい中にも明るさと晴れやかさをもった曲も、とても素敵で、私にとって宝物です。

これだから、どうしても全曲集めたくなるのです。


聴いているCD
バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ27
スザンヌ・ライデン(ソプラノ)
パスカル・ベルティン(カウンター・テナー)
ゲルト・テュルクテノール
ペーター・コーイ(バス)
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS CD-1421)