かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466

モーツァルトのピアノ協奏曲を取上げるこのシリーズも、いよいよ後半に入りました。今日は第20番です。

全集はなかなか買えなくても、後期ピアノ協奏曲集は持っているという方も多いはずです。そのトップに来るのが、20番ですね。

そして、この20番はモーツァルトのピアノ協奏曲の中で2つしかない短調であり、しかもその第1作目であるということが特徴です。

また、この曲からしばらくは彼自身のカデンツァが残されていない曲が続くことになります。どんな演奏でも、そのピアニストが作ったカデンツァという事になります。そういう意味では、ここからしばらくはモーツァルトオリジナルとは必ずしも言いがたい曲が続くということになります。

逆に言えば、ピアニストはいかにモーツァルトの音楽を壊さずに自分の演奏をするのかということが問われることになり、演奏家の音楽センスが真正面から問われるという曲が続くことになります。

私のお気に入りはブレンデルです。これが初めて聴いた演奏だったということもありますが、転調がとても自然で、違和感が無い。それでいてドラマティックです。この曲の特徴とほぼ同じで、さすが熟練という感じがします。

私はこの曲がニ短調ということに興味が引かれます。そう、第九やレクイエムと同じ調だからです。事典にも言及がありますが、モーツァルトが当時心に抱えていたわだかまりを感じるような気がします。

実際、この曲はベートーヴェンもよく演奏した曲として有名です。彼自身のカデンツァも残されており、一度聴いてみたいと思います。ベートーヴェンがこの曲にどのような思いを持っていたのか、よくわかるように思うからです。

兎に角、第九に相当するような不安な出だし。そして息つかせぬ転調と緊張感。完全にシンフォニックな構成と、熟成されたソナタ形式。聴き手をモーツァルトの世界へ引き込んでゆきます。

と、そこへなんとも平和な第2楽章が。しかし、この第2楽章も穏やかなだけではありません。途中で短調へ転調し、一体何が起こったのかと不安にさせます。しかし、また元の長調へ戻ります。

そして、ふたたび短調の第3楽章。第1楽章同様の緊張感が続きます。

彼が短調を書くときには心に何かを抱えていると前に書いたことがあったかと思いますが、例えば、オペラが好きな方は、「ドン・ジョバンニ」も短調であると言えばお分かりだと思います。このオペラも父との関係で生み出された作品ですし、彼の心のうちを少しだけ覗いているような気がします。

実は、私が始めて彼のピアノ協奏曲をきちんと聴いたのがこの第20番だったのですが、そのときの衝撃は未だに覚えています。体中が震え、感動というよりも、共感でした。私も家族との関係で当時悩んでおり、モーツァルト、あなたもでしたか!と心の中で叫んだものです。かれのドグマがここで吐き出されいる、そんな気がするのです。

モダン、ピリオドどちらも持っていますが、私はモダンでしかも演奏も新しい、ブレンデル、マッケラス、スコットランド室内管弦楽団を勧めたいと思います。もちろん、どんな演奏でもそれほどテンポ等も変わらないのですが、やはりカデンツァがすばらしいのです。そして、ピアノの表現と、オケとのアンサンブル。次点は同じブレンデルでも、名盤の誉れ高いマリナー、アカデミー室内管弦楽団です。手に入りやすいという点で、私は新しい方を押したいと思います。実際、ブレンデルの進化も見ることができますし。

まあ、このどちらかならまず問題ないと思います。ただ、注意が必要なのは、カデンツァは残されていない(作曲されているのはベートーヴェンのものだけ)ということは頭に入れておく必要があると思います。そうでないと、他の演奏を聴いた人ですと「え、ここ音が違う!」と文句をつけてしまいます・・・・・突っ込んだところで、間違っていませんから。

ベートーヴェンが愛奏したということは、なんらかベートーヴェンのピアノ協奏曲へも影響を与えたということです。その視点で聴いても、まだまだ書き足りないほどいろんな思いが、この曲からは湧き上がってきます。かれのピアノ協奏曲の中で、私が一番好きな曲です。