かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467

今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番です。第20番とは打って変わって、ハ長調で書かれていますが、共にシンフォニックで、かつ高貴さが出てきている点が特徴かと思います。

驚きますのは、そのどちらもモーツァルト自身の予約音楽会のために作曲されたという点です。あまり自分のための演奏会で短調を使うことの無かったモーツァルトが20番で初めて主調に短調を採用し、さらにこの曲では主調は長調でありながら途中短調への転調はドラマティックで、この曲は短調の曲だったっけ?と思わせるような構成です。

この曲からはさらに前向きな精神が見て取れて、明るいだけでなくとても力強さを感じます。さらにひとつ階段を登ったような、そんな感じを受けます。当時の方たちはこの様子をどのように受け取ったのでしょうか。わくわくしながら彼の作品を待ったことでしょう。そんな様子すら、この曲からは伺えます。

構成的にも、ソナタ形式の重厚さはすばらしく、しかもそれが重々しくないのです。その結果、明るく強く、堂々とした音楽に仕上がっています(なんだか、首相のメルマガのような・・・・・)。

この曲で恐らく一番有名なのは第2楽章なのではないでしょうか。どこかで聴いたことのあるメロディだと思います。上品なシーンでよく流れるような・・・・・

しかし、すでに冒頭から短調への転調が行われていて、この先単純に長調ではないよとモーツァルトが宣言しているかのようです。実際、途中で短調へ転調し、またそれが美しく、すばらしいのです。単なる緩徐楽章として聴き始めますと、度肝を抜かれるでしょう。

第3楽章はロンド。全体的な構成も堂々たるものになっていますが、その最後を飾るにふさわしい、堂々として、かつテンポのよい楽章です。彼の音楽からはなかなか人生を感じることができないのですが、それでもこの曲からは充分彼の精神的な充実振りが伺われ、ともすればふさぎがちになる私たちに、生きる希望を与えてくれます。

これだから、モーツァルトの音楽はベートーヴェンと共に止められません。特に、私は20番以降の作品からは単なる明るさだけでなく、「人生、前向きに生きよう!」という彼のメッセージを感じるのです。

ベートーヴェンは絶望の中でも生きる勇気を与えてくれます。一方、モーツァルトは日々の生活の中で、細かいことは気にせずに、明るく生きる、人生の楽しさを教えてくれるように思います。少しつらいことがあっても、彼がやさしく「そんなつまんない顔はよそうよ〜、楽しく生きよう!いつかきっと、楽しいことあるよ!」と微笑みかけてくれるかのようです。

その最高潮の作品のひとつが、この第21番のように私には思います。人並みにつらい思いを切り抜けてきた、天才からのメッセージ。大切にしたいと思います。

ちなみに、今日聴いていますのは、ブレンデルのピアノ、サー・ネヴィル・マリナー指揮アカデミー室内管弦楽団です。やはり、このコンビの演奏はすばらしいです。なんと軽く演奏しているのだろう・・・・・重々しいのが必ずしもそう感じないのは、彼らの譜読みの深さと、演奏技術にあるのではと思います。モーツァルトの演奏で難しいのは、全音符と八分音符、そして休符ですから・・・・・

この処理をどうするかによって、その曲の印象はまるっきり違ってしまうのです。その処理が、軽い方向で統一されており、とても聴きやすい演奏です。恐らくそれが、モーツァルトのメッセージをよく伝えているのではないかと私には思えるのです。