かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503

今日は、ふたたびモーツァルトのピアノ協奏曲に戻ります。今回は第25番です。

この曲は長調の曲の中でも私の大のお気に入りです。その理由は、明るくかつ転調が鮮やかで、しかもベートーヴェンのピアノ協奏曲を髣髴とさせるような構成にあります。

まず、なんと言っても第1楽章です。オケのユニゾンのすばらしさはすでに何度か触れましたが、この曲ほどすばらしいものはありません。しあわせな気分になります。

しかし、そんな表面的な部分だけでなく、ソナタ形式ががっちりとしている点が見逃せません。たたたたんたんたんたんたん♪という単純なフレーズを積重ねて行く音楽は、ベートーヴェンの運命と見まごうほどです。繰り返しもしっかりありますし、この曲ほど古典派らしい曲もないでしょう。

中間部の執拗なまでのリズムの繰り返しは、まさしく「運命」そのもの。しかし、この曲はモーツァルトであり、ベートーヴェンではありません。明るさと、短調をふんだんに使ったドラスティックな転調とがバランスよく配分されており、聴き手を飽きさせません。

実は、この曲は1784年から続いた一連のピアノ協奏曲群の最後を飾る曲です。その次の「戴冠式」までは1年3ヶ月ほどの間が開きますし、さらに最後の曲である第27番まではさらに3年、つまりこの25番からは4年3ヶ月後という先になるのです。

つまり、この曲はモーツァルトのピアノ協奏曲の中でひとつの区切りであると位置づけていいのではないかと思います。それだけのヴォリュームがあります。

第2楽章も堂々としていて、ただの緩徐楽章ではありません。ピアノの開始も静謐で、その美しさは筆舌しがたいほどです。モーツァルトの協奏曲は何となく表面的で・・・・・という方に、是非お勧めします。できれば、その前の第24番のト短調と一緒に聴きますと、彼の印象ががらっと変わるのではないかと思います。

第3楽章は少し平明すぎてつまらない印象もありますが、それでも短調への転調がすばらしく、それに注意して聴きますと、はじめつまらなく感じたものがだんだん面白くなってきます。あれ、ここはどう変わってゆくのだろう?と考えるだけでも楽しくなります。というより、そういう楽しさを与えてくれるのです。それが、モーツァルトのすばらしさだと思います。

今回は、二つの音源を聴いています。ひとつは友人より貰い受けたもので、2002年のザルツブルクモーツァルト週間において演奏されたライヴ、そしてもうひとつは毎度ご紹介していますが、ブレンデル、マリナー、アカデミー室内管弦楽団です。え、ザルツブルクのは演奏はだれだって?それは・・・・・・

ブレンデルのピアノ、サイモン・ラトル指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団という、珠玉の組み合わせです。実は、私は携帯にはこの組合せを入れています。マリナー・アカデミーとの組合せはかなり完成されていると思うのですが、それでもこの演奏を聴きますと、やっぱりオケはウィーン・フィルだね!って感じですね。

実は、このコンビのほうを先に手に入れたのですが、元はFM。ですから、マリナー/アカデミーに比べますと音質的には劣ります。しかし、ウィーン・フィルブレンデルのすごいところは、そのハンディをものともしない点です。

勿論、彼らはそんなことを考えて演奏しているわけではありません。ただ、音楽を誠実に演奏しただけです。それが、結果的にはハンディを乗り越えたことになりました。いい演奏をするだけ。そんな意思がひしひしと伝わってきます。ライヴということもあり、熱気が伝わってきます。

事典などでは、編成の点でウィーン・フィルを評価していますが(特に、ベームの演奏で)、しかし私はそういう点でアカデミーの室内オケとしての能力を過小評価しません。むしろ、ウィーン・フィルと対等に渡り合っているように思います。私はむしろ初演時はアカデミーの演奏に近かったはずだと思っていますので、ウィーン・フィルのほうがかけ離れていると思います。

それでも、ウィーン・フィルの演奏がすばらしいのは、その芳醇さ。ウィーン・フィルらしいその音の芳醇さこそ、すばらしいのです。恐らく、モーツァルトは小編成から大編成までを考えて作曲したはずなので、どちらも編成としてはあり、なのです。

この曲は初演がはっきりしない曲のひとつですが、1789年にライプツィヒで演奏された記録が残っています。だとすれば、そこではむしろ大編成で演奏された可能性があり、そのときに修正が加えられて、現在のスコアになった可能性が高いと私は考えています。それは、この曲が出版されたのが1798年、コンスタンツェによる自費出版であるという点です。状況から考えまして、初演時の編成どおりとは考えられません。当然、大編成へ修正がかけられた後の編成であろうと考えるからです。

作曲の記録は残っていますが、この曲は初演の編成すらはっきりしない曲です。しかし、それほど編成を変えることはないと思います。当時、モーツァルトの人気は絶頂からは遠いものになっていました。楽団員をそろえるのもかなりの金銭的な苦労をしたはずです。となると、大編成では難しく、前の曲に準拠した編成になるはずです。となると、当然ウィーン・フィルのような大編成になるはずが無い、というのが私の推理だからです。

それでも、ウィーン・フィルの演奏がすばらしいのは、彼が大編成でもいいように書いていた、ということになるかと思います。

この曲もカデンツァがない曲なので、ブレンデルが自分で追加しているのですが、どちらも同じカデンツァですね。ベートーヴェンのものではないか?というという疑問を呈せられた方がFree MLでいらっしゃったのですが、その可能性もあるかと思います。ぜひとも、その点も調べてみたいですね。何も無ければ、ピアニスト本人がつけたということになりますから、私はそのように述べているだけで、中にはベートーヴェンカデンツァもあるかもしれません。今後はそんなこともわかるともっと面白いかな、と思っています。