かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第14番変ホ長調K.449

今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲第14番です。

この曲は、彼の音楽全体の中でもエポックメイキングな曲です。なぜなら、この曲から彼は作曲年月、タイトル、楽器編成、冒頭主題を書き入れた自作品目録を作り始めたからです。

つまり、少なくとも、初演のデータがそこに残っている、ということを示します。勿論、それが本当に初演と一致するかは検証する必要があるのですが、少なくとも彼自身が自分の作品をどのような編成を念頭に作曲したのかの備忘録としての史料価値があるからです。

モーツァルトのような作曲家を聴く場合、モダンなら特に何の問題もありません(細かくは問題ありますが、楽しむのにはなんら問題ありません)が、ピリオド楽器の場合は、ジャンルを選んだほうがいいというのが、私の結論です。まだ交響曲はピリオドで聴いていませんが、恐らくそれをひっくり返すことはないだろうと思います。

まず、周波数の問題。これは以前にも取上げましたね。具体的には半音音が下がって聴こえますから、私たちにははじめ奇異に思います。慣れればどうってことはないですが。そして、その次には、特にピアノはまだ発達途中であった、という問題です。ですから、作曲家の意思を充分表現できない場合もある、ということです。その逆もありますが、そこまで行きますと細かすぎますので、割愛します。

第1楽章のオケのユニゾンは堂々としていますが、ある意味それほど新鮮味があるわけではありません。しかし、全体として音楽が堂々としてきていることは確かで、モーツァルトが売れっ子ピアニストとして自信を深めているのが音楽からも伝わってきます。

よく聴いてみますと、これはピリオドよりむしろモダンでよくわかるのですが、ピアノが弱く引く部分は、オケの楽器を少なくしてなおかつ弱く演奏させています。特に第3楽章で顕著で、私たちはまだまだモーツァルトの音楽を知らないといっていいのではないかと思います。それほど奥が深いものです。楽器の性能が上がったがために、私たちは当時の演奏にまだまだ近づけていない「未熟者」と考えるほうがよさそうです。

事典等でよく「ピリオド楽器ならいい」と言う記述がありますが、私は特にこの曲を聴きますと、その記述に違和感を覚えます。本当か?と異議を唱えたくなります。勿論、相手は専門家。それなりに研究しているわけですから、本当は失礼なのですが、それでも実際に歌った経験と、そこで養った耳で聴いて見ますと、私はまだまだピリオド楽器を使った演奏の「技術」は未熟であると思っています。モダンであればそんな技術がいらないからです。

だからこそ、私はむしろモダンでの演奏のほうが、より当時の演奏スタイルに近いと考えるべきなのではないか?とつくづく思うのです。

ピリオドなら、やはり少なくともBCJくらい研究した上で、演奏して欲しいものです。モーツァルトは最近ピリオド楽器での演奏が主流になっていますが、未だに本当にモーツァルトの時代に即した演奏というCDを店頭で見ることはありません。まあ、私がロストしているだけかもしれませんが、ほとんど見ないということ自体、そこに、まだ未熟さを感じるのです。

そろそろ、モーツァルトでもBCJのような団体が出てもいいでしょう。その最有力候補は、恐らくウィーン・コンツェントゥス・ムジクスだとは思っていますが・・・・・このオケについては、いずれミサ曲をかたるときに述べましょう。