かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第13番ハ長調K.415(387b)

今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲第13番です。まず、この曲の特徴として、ハ長調であるということがいえるかと思います。

え、何でハ長調がって?それは、ハ長調は高貴な調だからです。ミサ曲でよく使われる調性です。勿論、ミサ曲全てがハ長調ではありませんが、最も大事なミサ曲を書く、というときにはハ長調が使われます。

ハ長調は、何も記号がついていない調ですね。いわゆる、ごく普通の「ドレミファソラシド」です。普通に音楽の授業を受けていれば、子供でも楽譜が読めるという調です。しかし、それがゆえに、最も高貴な調性なのです。

不純物が混ざっていない状態を表すからです。もともと、教会旋法が起源になっていて、教会音楽で特に採用された調です。ウィキペディアではそれは簡単にしか触れられていませんが・・・・・

ただ、面白いのは、ピアノでは高速の運指が難しいという記述です。この曲はモーツァルトが自身の予約音楽会のために作った曲です。そのテクストで考えますと、この曲にこめられたモーツァルトの自信がありありと見て取れます。第1楽章は結構テンポが速いのです。そのあたり、この曲にかけるモーツァルトの意思が見て取れます。

それをさらにはっきりと感じますのは、第1楽章での主題です。とても高貴で明るい曲調で始まりますが、途中で「冗談か?」とタカアンドトシのように突っ込んでしまいたくなるフレーズが出てきます。それもまずオケで見せておいて、さらにピアノ独奏でも行うという手の込みようです。通常の和音進行ではありえないその音が、私たちをびっくりさせます。

当時、この曲を聴いた人たちはびっくりしたでしょう。それほどゆっくりとしてはいないテンポでハ長調。そのうえ、和音進行がおかしい。でも、作品としてはすばらしいものに仕上がっていて、第3楽章終わってみれば、美しさの中で終わる・・・・・・

え、何が起こったの?という中で、拍手喝さいだったでしょう。実際、初演および皇帝ヨーゼフ2世を仰いでのブルク劇場での再演では大成功でした。

この曲は三作品の中でも最大の規模を誇り、恐らく彼は目玉と位置づけていたことでしょう。記録からはそんなことすら想像できます。モーツァルトのにやりとした顔が目に浮かぶようです。

この曲は初演データがかなりきちんと残っており、ブルク劇場で行われたことがはっきりしています。となると、編成的に最大になったのはよくわかります。しかし、そうなると、ピアノはフォルテピアノだったわけですから・・・・・・

で、曲をよく聴いてみますと、第2楽章と第3楽章はそれほど冒険をせず、しかもほとんどがフォルテかピアノで演奏されるという内容です。最後も静かに終わります。考えて見ますと、第1楽章冒頭もオケはピアノで始まります。今までのようにとにかくフォルテで突進する、というようなことはないのです。其の上、和音進行に工夫を凝らし、聴衆に「あれ?変だな」と思わせています。ハ長調なのに、ピアノを聴かせる工夫が随所に凝らされています。

再演にはかなり時間をかけて慎重に準備されたようで、天才と言われる彼の別の面を見ることができます。このあたりにも、ザルツブルクでの苦労の跡が見て取れます。しかし、この後さらに苦労することとなろうとは、さすがのモーツァルトも予測できなかったようですが・・・・・・

10番代では、私にとってこの第13番は一位、二位を争う好みです。第1楽章のヘンな和音進行を聞きなれてしまいますと、もうとりこになってしまうのです。恐らく、彼もそれを充分狙ってのことでしょう。

すっかり、私もやられました。