今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲第12番です。この曲がモーツァルトがウィーンで最初に作曲してピアノ協奏曲になります。ザルツブルク時代最後の2台のための協奏曲から約3年。ウィーン定住を決めてから約1年半。一見しますと音楽的に後退したように見えますが、転調の深みは増しています。
本当はそれを語るには、ミサ曲での彼の苦労を語らなければいけないのですが・・・・・長くなりますので、止めます。
苦労といいますと、どうしてもベートーヴェンが注目されます。確かに、彼は耳が聴こえないという「聴覚障害者」でありましたから、当然といえば当然でしょう。でも、モーツァルトだって、人並みに苦労しています。特にザルツブルク時代、ミサ曲では相当苦労しています。しかし、彼はそれをそれこそ「不屈の精神」で乗り越えます。
天才がです、不屈の精神で乗り越えるのです!
その結果が、この協奏曲の随所に現れているのです。この曲と一ケタ台を聴き比べてみれば、それはすぐにわかるでしょう。
つくづく、私はモーツァルトがシャイなことで損をしているなと感じます。確かに私も一番好きな作曲家はベートーヴェンです。でも、最近はモーツァルトで癒されることのほうが多くなっています。それは、彼もそれなりの苦労をしてきていることと、無関係ではないと思っています。さらに、偉大な教師である父との関係。自分の才能と周囲との折り合いをつける難しさ。そういったものが、彼の精神に影響を与えないわけがないでしょう。最近は其の方面の学術研究も進んでいて、さすがの私も追いつけません><
今日は二つの演奏を聴きながら書いています。基本的にモダンで、ひとつはぺライア指揮とピアノ、イギリス室内管弦楽団。もうひとつはブレンデルのピアノ、マッケラス指揮、スコットランド室内管弦楽団です。どちらも自然な演奏で、とても聴きやすいです。繰り返し等もそれほど差はないですし、どちらを聴かれても損はないと思います。でも、ものすごく細かいことをいいますと、私としましてはブレンデルのほうを推しますが・・・・・でも、「そんなのかんけーねえ!」です。お好きなほうをどうぞ。
この曲は、第1楽章においてカデンツァの入り方に特徴があります。怒涛のごとく突入してゆくのは圧巻です。ほとんど切れ目なしで、アインガングと言ってもいいようなくらいです。こういう点を見ますと、モーツァルトにも結構「びっくり箱」があり、その後のベートーヴェンのコンチェルトを彷彿とさせます。
第2楽章の主題は、実はモーツァルトの師匠でもあった、ヨハン・クリスティアン・バッハの序曲が使われています。作曲された1782年の1月に亡くなっていることから、彼を偲んで作曲されたとも言われますが、其のあたりはよくわかりません。可能性としては否定できませんが、私は偲んでというよりは、敬意を表してという感じなのではないかという気がします。なぜなら、この楽章は長調だからです。本当に悲しいときには、彼は短調の曲を書きますから・・・・・
予約音楽会のために書かれた曲の場合、主調で短調はほとんどないです。楽章にもそれほど使われません。それは頭に入れると、彼の音楽がまた違って聴こえるでしょう。
いわゆる、彼は「顔で笑って心で泣く」作曲家だったのです。それをもっと芸術家として前面に出したのがベートーヴェンでした。彼だって別に顔で笑って心で泣いていなかったわけではないと思います。ただ、やはり彼の障害者という立場が、そうさせたのだと思います。だからこそ、彼の曲は内面的ですし、それがストレートに心に響いてくるわけです。
一方、モーツァルトは一応健常者です。しかし、最近の研究では精神的な障害があったのではないかという研究もあります。其のあたりは私も追いきれていませんので評価を差し控えたいと思います。しかし、彼が自らの心を知っていたような気配は感じるのです。明るい曲ばかり書くという姿勢には、単にそれが注文者からの要求だけだったとは思えないのです。特に、自分を売り込む「予約音楽会」においても明るい曲が多いということを考えても、彼は勤めて自分の不安を出さずに隠していたように感じるのです。
だからこそ、彼の曲は表面的な美しさがあるにせよ、癒されるように私は思います。