かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

モーツァルト ピアノ協奏曲第11番ヘ長調K.413(387a)

今日は、第11番を取上げます。この曲は、モーツァルトがウィーンで最初に作曲したピアノ協奏曲です・・・・・といいたいところなんですが、実は第2作目になります。第1作目は、次に取上げる第12番ということになります。

でも、いずれにしましてもウィーンでの活動を開始した時期の作品であることには変わりありません。そして、このあたりから初演の記録が残ってくるようになります。それでも、この曲は明確な日にちまでは特定できません。それでも、ほぼこの演奏会でというところまでは特定できる曲でもあります。それはザルツブルク時代の協奏曲とは違った局面に入るかと思います。

なぜ、私がそんなことにこだわるかといいますと、例えばその演奏された場所がわかれば、おのずと編成がある程度考えられるからです。以前にも申しましたが、管の編成というのはそんなに変えられません。ですから、数がアバウトである弦楽器で調整をした可能性が高いのです。

ピリオド楽器を語るとき、その楽器の技術的水準が問題になることがありますが、だからこそ、アンサンブルのバランスを考えることが大事になってくるのです。

協奏曲にはたいていカデンツァがありますが、それこそピアニストを引き立てるためにあります。そして、カデンツァに入るときというのは、かならずオケがユニゾンで一旦休止します。それが合図になります。曲を重ねるたびにモーツァルトもすばらしくなってゆきます。このカデンツァの直前からが、協奏曲は聴き所なのです。

でも、なぜそうなったと言えば、特にピアノの場合、ただでさえそこで音量が小さくなり、耳をそばだてなければ聴けないわけです。つまり、「ちゅう〜も〜く!」という合図なのです。単に演奏者だけでなく、聴き手にも注意を即すわけです。

そういう意味で、この曲の初演を考えて見ましょう。この曲は、さまざまな史料から1783年1月11日にウィーンの市立集会場である「アウフ・デル・メールグルーベ」で初演されたと推測されています。この場所に関しては私も調べ切れませんでした。少なくとも、ネットでは探せません。ググっても出てきませんでしたから・・・・・・

しかし、少なくとも劇場ではないことを考えれば、そんなに大きな編成ではないでしょう。後にモーツァルト交響曲などはブルク劇場でも演奏していますが、そういった場所ではないことから、編成としてはたとえどこかに大きいと出ていたにせよ、それは現代の感覚で考えてはいけません。「当時にしては」の一文字を自分自身で入れる必要があろうかと思います。

となりますと、この曲はかなり編成上、コンパクトだったのではないかという気がします。弦は少なめにし、クラヴィーアが引き立つように・・・・・

それは、この曲が少しおとなしめで、一瞬ザルツブルク時代へ戻ったかのように感じることからも想像できます。

其のことに関しましては、以下のサイトのほうが事典より詳しいかと思います。

http://www.mirai.ne.jp/~nal/mozart_K413.htm

モーツァルトの作品解説なのですが、著者がかなり網羅的にモーツァルトの楽曲を研究していることがわかる名解説だと思います。恐らく、宗教曲もきちんと学習されている方でしょう。信用していいサイトだと思います。

また、この曲は次の第12番や第13番と共に、実は管を抜いても良い、という指示があることです。ただでさえ小編成なのに、さらに管を抜くという指示がわざわざあることからしても、この時期のモーツァルトはとにかく「自分を売る」ことに精一杯だったということがわかります。ウィーンのような大都市のほうが逆に冒険はできないものです(特に、ウィーンは保守的でした)。そのため、あえておとなしめな楽曲を作ったというのが定説ですし、私もそれは支持したいと思います。

それでも、この曲からはモーツァルトの成長の証を随所に見ることができます。第1楽章の独奏クラヴィーアが始まるまでの堂々とした内容や、第2楽章の深い転調、そして第3楽章の落ち着いた美しさ。どれをとっても、大人としてのモーツァルトの自信が伝わってきます。

勿論、まだまだ跳ね返りですが、音楽からはそれが微塵も感じられません。このあたりに、ザルツブルク時代、ミサ曲での苦労を乗り切った彼の成長が見て取れるのです。