今日は、モーツァルトのピアノ協奏曲第6番を取上げます。この曲も初演の様子はあまりわかっていない曲です。ですから、ピリオド楽器の演奏を聴くときには注意が必要な曲です。私もぺライア指揮・ピアノ、イギリス室内管弦楽団と、モダン楽器で聴いています。
勿論、ピリオドだっていい演奏はあるので、それが悪いと言いたいわけではありません。ただ、ピリオド楽器による演奏はどういうことなのかを知らないと、面食らうことが多々ありますので・・・・・
まず、これはバッハの場合なら必ず問題になるのですが、周波数、つまりピッチの問題があります。そこまで行きますと、もう紙面がいくらあっても足りません。少なくとも、ブログでお話しする内容ではなくなってくると考えます。
ですので、問題があるのだということを述べておくことですっ飛ばしまして・・・・・
この曲は形式的に現在の協奏曲の形に近くなっています。3楽章であることは勿論のこと、第1楽章はソナタ形式、第2楽章はソナタ形式の変形、第3楽章はロンドです。ただ、第2楽章は緩徐楽章なので、聴いている人にはあまり違和感を感じないと思います。
モーツァルトの協奏曲の魅力のひとつに、カデンツァがあると思います。これこそ、ソリストの力量が試されるいわゆる「華」なのですが、これが本当にモーツァルトはすばらしいです。ベートーヴェンのピアノソナタを聴いて今度はモーツァルトのピアノソナタを聴いてみますと、今度はモーツァルトのピアノソナタも聴いてみたくなります。
きらびやかで、明るくて、清らかで。美しいという言葉だけでなく、このような言葉も似合う内容を持っています。
しかし、この曲のカデンツァは父レオーポルトなんですね。しかし、それがまた違和感がない。このあたりは親子の間がうまく行っていた証拠なのではないかと思います。
モーツァルトの曲には内容がない、とはよく言われますが、確かにベートーヴェンのような内省さはないです。しかし、徹底的な美の追求と明るさは天下一品です。その上、作品を重ねるごとにすばらしくなる内容。それはベートーヴェンに比肩する内容です。
無邪気なモーツァルトの微笑を想像しながら聴きますと、また楽しいのではないかと思います。
しかし、第3楽章での長調から短調への転調は本当にまだ10代?って思ってしまうほど深いですよ。