今日は、パーヴォ・ヤルヴィの指揮を取上げてみたいと思います。多分、指揮者を取上げるのは初めてかと思います。
彼は最近人気が急上昇していまして、特にブルックナーでその力を発揮し、CDも多く出しています。実は、私も彼を取上げますのは、mixiでマイミクさんが取上げられていたからなのです。それは、ブルックナーの9番でした。
しかし、私はブルックナーは初心者。まだmp3で4番と7番、WAVEでは0番がやっとライブラリに入っただけです。CDはむしろ声楽ばかりですし。
と言うわけで、私が持っている唯一のパーヴォ・ヤルヴィのCDをご紹介します。実はこれは非売品です。なぜなら、友人がNHK・FMでエアチェックしたものをいただいたものだからです。
収録年は良くわかっていませんが、恐らく2002年ごろと思います。いただいたのが2002年でしたから。それからほぼ7年、お蔵入りしていたディスクです。
バーンスタインの2番とプロコフィエフの第6番のカップリングで、この組み合わせでピン!と来た方はかなりのクラシックファンなのではないでしょうか。私もこの組み合わせの意味を知ったのは、この記事を書くためにウィキペディアで調べて初めてでした。つまり、いただいてから7年、その方が意図したことを私はまったくわからなかったということなのです。
バーンスタインの2番は別の指揮者なのでここでは取上げませんが、どちらも第二次大戦後間もない時期の作曲です。そして、どちらも戦争で傷ついた人を題材として取上げているのです。
パーヴォ・ヤルヴィが指揮しているのは、プロコフィエフの交響曲第6番です。この曲は、友人のミャスコフスキー(この作曲家も、最近売り出し中ですね)をして「3回聴いて初めて意図することがわかった」と言わしめた難解な曲です。実際、現代曲らしく不協和音が多く、理解しがたい部分も数多くあります。恐らく、ショスタコーヴィッチに比べますと、かなり難解なのではないかと思います。
しかし、私としましては、カップリングのバーンスタインよりはメロディラインがしっかりしていて、聴きやすかったです。恐らく、そこがパーヴォ・ヤルヴィの実力なのではないかと思います。どうしても現代曲はその不協和音ゆえごちゃごちゃする部分が多く、すっきりと聴けないことが多いですね。それが私としてもなかなか現代曲を聴かない理由にもなっています(せいぜい、ショスタコーヴィッチまでです)。
ところが、ヤルヴィの指揮は音楽が明瞭です。こんなにメロディラインってはっきりしているの?という驚きすらありました。形式的には3楽章形式とショスタコでもなかなかやらない形式を取っていて、外観的にも難しそうな曲を、なんともあっさりと調理してしまった、と言う感じです。
もともと、プロコフィエフといえばピーターと狼のようにメロディラインは明瞭な曲が多いのは事実ですが、この時代の交響曲、しかも旧ソ連という地域特性を考えても、そう単純なメロディラインでないことは明らかです。しかし、それが聴くたびにだんだん単純に見えてくるところが不思議です。これがもう少し前の作曲家ならまあそういうこともあるかなと思うのですが・・・・・
プロコフィエフの交響曲は私もこれひとつしかもっていません。しかし、今改めて聴きますと、彼の作品ももう少し聴いてみたいなという思いが募り始めています。それこそ、パーヴォ・ヤルヴィという指揮者のオケ統率能力なのではないかという気がします。
これは、ブルックナーも相当なのではないか、と思います。確か、同時鑑賞会のブルックナーマラソンで聴いたはずではあると思いますが、ちょっと記憶が定かではありません。しかし、主催者の方がブルヲタですから、取上げてはいると思うのです。もしかすると私が参加しなかった回で取上げられたのかもしれませんが・・・・・・スクロヴァチェフスキは覚えているのですが。
特にこの演奏ですごいと思いますのは、その演奏が今からほぼ7年前だと言う点です。日本中がワールドカップで沸いていたころ、パーヴォはこれほどの確かな演奏をしていたのだなと思いますと、この指揮者のポテンシャルの高さを感じざるを得ません。そして、音楽に対する真摯な姿勢。
今後も、目を離すことができない指揮者であると思います。7年前、いただいた方に感謝です!そして、その着眼点に脱帽です。