かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:バッハ カンタータ全曲シリーズ24

ここ2日間くらいお休みしていました。仕事とプライベートで疲労困憊。しかし、musiker氏も久方ぶりにメルマガを発行され、私も何とか続けようと、ふたたびパソコンの前に座りました。

さて、今回から3回は先日給料が出ましたので買って来ましたCDをご紹介したいと思います。その第1回目は、やはりバッハです。その次はラフマニノフ、その次をベートーヴェンで予定しております。今回はラフはありません。

今回は以前よりご紹介しておりますバッハ・コレギウム・ジャパンカンタータ全曲シリーズの第24弾です。コラールカンタータのシリーズ第3弾となります。

カンタータ第8番「愛する御神よ、いつ我は死なん」BWV8

三位一体節後第16日曜日(1724年9月24日)用のカンタータで、この曲は異稿があるため演奏者サイドではいろいろな研究対象になっているようです。

この内容をはじめ私は死に関するものとばかり考えていました。実際、歌詞はそうですし。しかし、事典を開いてみますと・・・・・

「過ぎ去り行く時への哀惜の念、一種東洋風の無常感に満ち」!

ちょうど、GMがChapter 11(アメリ連邦破産法第11条のこと。日本で言う民事再生法適用を意味します)適用とのニュースが入って来まして、企業の栄枯盛衰を考えざるを得ませんでした。市場は織り込み済みと言いますが、実際はどうなるのかは処理が始まってみないと誰にもわかりません。

労働者は一体どうしているのか。不安に恐れおののいているのではないか。

確かに、GMの破綻は仕方ないものですし、避けて通れない道です。しかし、労働者に本来一義的な罪はないはず。まずは経営者であるはずです。それが、経営者は知らん振り。犠牲になるのは労働者・・・・・

この曲は神の誠が不死であることを説いているのですが、GMの労働者にとって、この処理は神の誠のごとくになりえるのかどうか。まずはお手並み拝見でしょう。色即是空とは言いますが・・・・・

最後は、死を恐れない晴れやかな気持ちで終わります。是非、GMの労働者がそうなるようにと祈念しています。

カンタータ第33番「ただあなたにのみ、主イエス・キリストよ」BWV33

三位一体節後第13日曜日(1724年9月3日)用のカンタータです。

この曲は神への愛・隣人愛を深く掘り下げたもので、コントラストがすばらしく、テーマがひしひしと伝わってきます。この曲もGM破綻のニュースと共に聴きますと、また心に響くものがあります。10年ちょっと前、日本の金融機関も同じだったのです。それに思いをはせますと、考えさせられることばかりです。こういう部分の構成や音楽の力はすばらしく、さすがバッハだなあと思います。

ブックレットにはもっと専門的なことがかかれてありますが、それは飛ばします。それに言及しますと、異様に長くなりますので・・・・・ただ、この曲はベートーヴェンの名曲に引けを取らないくらい、びっくり箱がたくさん用意されており、それが私たちに感動を与えているとだけ申し上げておきます。

カンタータ第113番「主イエス・キリストよ、この上なく貴き宝よ」BWV113

三位一体節後第11日曜日(1724年8月20日)用のカンタータで、正しい信仰を解く為「独善を悪しき」とするファリサイ人と取税人のたとえを用いています。ファリサイ人は厳格で自分が全て正しいと思っていますが、取税人は卑しい身分ですが神に対して「罪人の私を憐れんでください」と懇願します。果たしてどちらが生き方として正しいのか、ということを説いています。これは仏教ですと親鸞の「悪人正機説」にもつながる、非常に示唆に富む話しです。

音楽的にも上2曲から一転、厳しい内容です。人としての生き方をもう一度反省せよ、と言われているようで、自らの恥ずかしさをも感じる、非常に伝播力のある曲です。

最後に、カンタータ第8番第1曲目の異稿が収められていますが、私としましても、鈴木雅明氏と同意見で、「初演のほうがいい」、つまり1トラック目に来ている、鈴木氏が採用した稿のほうが良いという立場です。私はバロックの専門家ではなく、あくまでも合唱をやってきたその耳からの印象でしかないですが、それでも氏が選んだのは間違いではないのでは?と思います。その意味でも、最後に異稿を取上げたのはいいことだと思います。音楽愛好家だけでなく、プロの参考にもなる、すばらしいアルバムだと思います。

聴いているCD
BCJ バッハカンタータ全曲シリーズ24
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(KKCC2361またはBIS-CD-1351)