さて、今日はいつもの形式へ戻りましょう。といっても結局同じになるかもしれませんが。
今日は弦四第14番です。この曲はベートーヴェン会心の作と言われますが、聴いてみればその通りだと思います。最初のゆったりとした開始から、途中の激しい部分や、見事なフーガなど、語ればきりがありません。
で、いつもの私の着眼点、形式なのですが、これがもうめちゃくちゃです。7楽章形式でしかも全てつながっているという、携帯音楽プレーヤーで一番聴き難い曲でしょう。
実際、CDで聴く場合はなんともないのですが、これがパソコンで聴こうとするとすぐ問題が発生します。特に、mp3で聴こうとしますともう問題だらけ。どこをどうつないだらいいのだ!と投げたくなってしまいます。
しかし、それをやりますと、実はこの曲のもうひとつの特質が見えてみて、以下のウィキペディアの記述が良くわかってくるのです。
「7楽章構成であるが、第1楽章をきわめて長い序奏、第3・第6楽章を次の楽章への前奏曲と解釈すると、伝統的な4楽章構成を大幅に拡大したものと見ることもできる。」
実際は、全てノンストップでアタッカになっているわけではなく、前と同じくいったん終止していきなり音楽が動きだすという構造になっているため、はっきりと一部は楽章間が開いています。ところが、これが演奏者の間で解釈の違いになっていると言う曲者。
私はこの曲をはじめアルバン・ベルク四重奏団の旧盤で聴いたのですが、そのときは第6楽章と第7楽章をつなげただけでした。そして、実は先日第13番と共にスメタナで第14番も買ってきましたので、それもリッピングしてみますと・・・・・
うー、切れている><
特に失敗したのが、第2楽章と第3楽章。この間は確かに開いているのですが、データ読み取りの関係でどうしても第2楽章の最後に第3楽章の最初が入ってしまいます。勿論、そうしないようにもできますが、その設定は結構面倒です。
ですので、最初は第1楽章と第2楽章だけつなげる予定だったのが、第3楽章もつなげることに。解釈上は、恐らく第3楽章は第4楽章の前奏曲的だと私も思いますが、スメタナはそう演奏していません。第1楽章から第3楽章までは大きな塊として演奏しています。そして、第4楽章と第5楽章は独立していて、第6楽章と第7楽章はこれは完全にアタッカで連続しているので不可分。
で、見てみると、きちんとした4楽章形式になりました^^;
これは面白かったです。パソコンで並べてみると、スメタナとアルバン・ベルクとではこんなにも捉え方が違うのかと、驚きました。
ですので、この曲はいろんな聴き方をしてみると面白い曲だと思いました。そんなびっくり箱、作らないでよといいたいところですが・・・・・
しかし、これが何度も聴きますと、味が出てくるからやはり名曲です。特に、スケルツォである第5楽章はとても諧謔的で、え、何でこんな曲が挟まっているの?という感じですが、それが違和感ありません。いやー、これにはたまげた!
これはどちらもいい演奏ですね。甲乙つけがたしです。やや、やはりアルバン・ベルクのほうがアグレッシヴでスメタナのほうが室内楽的なアンサンブルなのはいつもどおりですが、かといってラズモフスキーほど何か聴いていて精神的にきつさを感じるとかはないですね。どちらもすっと心に入ってきます。やはり、どちらも名盤ですねー。
とにかく、最高傑作といってもいい、すばらしい曲です。それゆえに、携帯音楽プレーヤーで聴こうとしますと、大変ですが・・・・・
それを乗り越えるだけの価値ある、まさしくベートーヴェンの「苦悩を通じての歓喜」を感じる曲です。とってもやさしい曲でもありますけどね。
ただ、最後の終わり方は、なんだか「もういいよ!」みたいに終わりますので、あれ?って感じですが、そこにベートーヴェンの子供のような無邪気さを感じるのです。