ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を取上げるこのシリーズも、今回から後期の作品群へと入ります。今日は第12番です。
私は、この12番以降を聴きますと、ベートーヴェンの弦四に出会えてよかったなあと思うのです、なぜなら、学校の音楽史ではベートーヴェンの弦楽四重奏曲などすっ飛ばすからです。
この第12番が書かれたころに、第九が成立し、初演を迎えています。鑑賞の時間ではほとんど生徒に聴かせないくせに、音楽史のテキストでは第九でベートーヴェンはそのすばらしさから燃え尽きて、その後は弦楽四重奏曲にいくつか名作を残すだけとなった、などと書かれていて、第九以降はまるで特に目立った作品はないような記述ばかりなのです。
確かに、ピアノソナタはもうかかれていません。ピアノ協奏曲もです。交響曲は第九で終わりますが、近年は第10番に意欲を燃やしていたことが明らかになりました。しかし、それは未完に終わります。
ですが、こうやって弦四を聴いてみますと、決してベートーヴェンは燃え尽きてなどなく、さらに創作の意欲を燃やしていたことが良くわかります。
この第12番が書かれた時期に書かれたほかの作品にどんなのがあるか、ウィキペディアから引用しましょう。
「この曲の作曲時は、ピアノソナタ第30番、第31番、第32番や、ミサ・ソレムニス、第9交響曲 などの作曲時とほぼ重なり、そのためか大変充実した曲になっている。」
その通りです。第1楽章の弦のユニゾンは印象的ですし、しかも壮大さを感じます。曲自体もゆったりとしていて、サロンで楽しく聴くというだけでなく、みんなでシーンとして聞き入ってしまうという雰囲気が加わります。作品はさらに高貴になります。
もうひとつの特徴は、第2楽章がやたら長い点です。今までの作品でこんなにも第2楽章が長い曲は弦四で見当たりません。自由な変奏曲形式で、それがゆったりと流れてゆきます。私が聴いていますアルバン・ベルク四重奏団は16分38秒!いつものアグレッシヴな演奏はすっかり影を潜め、まるでスメタナ四重奏団かと思わせるくらいです。
第3楽章はまるで最終楽章のように聴こえますが、しかしスケルツォなんですね。しかし驚くのは、この作品ではフーガがほとんど使われていないことです。ピアノソナタや中期の弦四では多用した見事なフーガが、ここでは見られません。勿論、次の作品では見られることになるのですが・・・・・長すぎて没になるくらいのすばらしいものが。
そして、それを引き継ぐ第4楽章。この2楽章はとても明るく、聴いていてとてもさわやかです。第3楽章は各楽器の掛け合いがとてもすばらしく、会話を聞いているようです。第4楽章ははつらつとしていて、まだまだ俺はやれるぞ!という中年のエネルギッシュさすら感じます。
そう、中年的な枯れた感じもするのですが、決してそれだけで終わりません。まだまだ若いものには負けん!そんな気合すら感じます。ただ、それをなんともさらりと表現しているんですよねえ、これが。私のようにまだまだ血気にはやるのは、まだまだ青い証拠だなあと反省しきりです。
主調である変ホ長調にはベートーヴェンにおいて名作が多いと言われますが、そういわれれば、交響曲第3番「英雄」は変ホ長調ですし、またピアノ協奏曲第5番「皇帝」も変ホ長調です。ただ、この曲にはそういう英雄的なものを感じません。第4楽章などではむしろ諧謔的な点すら見られます。唯一英雄的な面が見られるとすれば、第1楽章冒頭だけかもしれません。
もう、この時期のベートーヴェンは英雄だとかそういうことではなく、個人の内面に関心が向かっていたのかもしれません。人生をどう生きるのか。そこが重要だったのかもしれません。
さて、この次は第13番。実は、このシリーズにしようか、「今日の一枚」シリーズにするか、迷っています。いずれにしても、次はいよいよ「大フーガ」を含む13番です。