かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品18-6

今日は、弦四の第6番を取上げます。作品18群のうちの最後です。

今日は、実はさっきまでブルックナーを聴いていました。mixiの「クラシック同時鑑賞会」コミュのイベントで、この連休中ブルックナー交響曲全曲演奏会を開催しています(もちろん、ネット上でです)。今日、と言うよりもう昨日になりますが、まず第00番と第0番、そして第1番
が取上げられました。

私自身、ここでもブルックナーのモテットやミサ曲を取上げているように、決してブルックナーは嫌いな作曲家ではありません。しかし、遠ざけてきた作曲家でもあります。

しかし、今日聴いた曲の中に第00番があるのですが、これがとても古典的で、私はいっぺんに好きになりました。参加者からは「ベートーヴェンのようだ」という発言もありました。確かに、そうかんじた部分もあり、収穫がたくさんありました。

それにしても、この第6番はいわゆる「習作」ですが、しかしブルックナーの習作はさらにすごかったです・・・・・・

ちょうどこのブログでベートーヴェンの弦四を取上げている関係で、どうしてもブルックナーベートーヴェンの、しかも交響曲弦楽四重奏曲(ふつうは、交響曲どうしですが^^;)で比べると言う、私らしい比較をしてしまいました。

ブルックナーの場合、すでに形は整っており、しかも0番は第1番より後の作曲なのに、いろんな理由から番号をつけられない事となってしまいました。しかし、ベートーヴェンはそれにしっかりと番号をつけた・・・・・

二人の置かれた境遇が違いますから、安易に比較をしてはいけないんでしょうが、しかしブルックナーからすれば、番号をつけることのできたベートーヴェンはうらやましかったでしょう。それほど、特に0番は多くの参加者が「すでにブルックナーだ」という意見があったのですが、現実は0番という、なんとも不本意な番号をつけられてしまいました。

この6番はそういう意味では、私はブルックナーの0番に相当する作品ではないかと言う気がします。しかし、内容からすればすでに1番なのです。第1楽章の対話するような弦の動きは、すがすがしさを感じます。

第3楽章では、ピアノソナタでも出てきましたヘミオラのリズムもあり、シンコペーションが多用されていて、これもベートーヴェンと言う古典派からロマン派へわたる作曲家らしい側面だと思います。

一番驚くのは、やはり第4楽章でしょう。冒頭のペシミスティックな音楽は、一体何が起こったのだろうと思わざるを得ません。このころから、ベートーヴェンはいろんな憂鬱を抱えるようになったでしょうか。楽譜にもそう書かれてあるそうですし、もしかすると耳のせい?とかんぐってしまいます。

私自身、今日はブルックナーを聴いていて、ベートーヴェンがかけるのだろうか心配でしたが(それくらい、衝撃でした)、なんともしっくり来るではありませんか!

このあたりが、連綿と続いている伝統なのでしょうね。