かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

今日の一枚:BCJバッハ・カンタータ全曲演奏シリーズ21

今日は一転、バッハを聴いています。先日も申しましたが、これが予約していた一枚です。

収録されているカンタータは以下の4曲です。

カンタータ第65番「人々シバよりみな来たりて」BWV65
カンタータ第81番「イエス眠りたもう、われ何を望むべき」BWV81
カンタータ第83番「新しき契約の喜ばしき時」BWV83
カンタータ第190番「主に向かいて新しき歌を歌え」BWV190

この順番で収録されておりますが、作曲順はかならずしももこの順番とは限りません。少なくとも、初演の順番は、190、65、81、83です。

ちょうど、バッハがライプツィヒで迎えた初めてのクリスマスと正月において作曲された曲が収録されています。

カンタータ第65番「人々シバよりみな来たりて」BWV65

とにかく、輝かしい曲です。それもそのはずで、これはバッハがライプツィヒで迎える最初のクリスマスで作曲されたカンタータ群の、最後の曲なのです。

手元にある「バッハ事典」(東京書籍)で調べてみると、特に第2曲目には、キリストの誕生を祝う歌詞を用いていて、明らかにクリスマス用であるというのがわかります。

しかし、初演は1724年の1月6日。日本であれば正月気分。しかし、本来クリスマスはキリストの誕生を祝い、そのうえで新年を迎える行事であることを考えると、初演が新年であることが納得できます。

カンタータ第81番「イエス眠りたもう、われ何を望むべき」BWV81

この曲は一転して暗い曲調です。曲の内容としては、イエスが弟子と船出するのですが、結構な嵐。弟子たちは浮き足立ちますが、イエスは平然と「なぜ騒ぐのか。信仰心の薄いものたちよ」と言い放つと、海をしかりつけ、とたんになぎになったという場面を歌い上げるものです。

ある意味、音楽劇的といってもいいと思います。

もちろん、こんなことが実際に起こるわけがありません。いいたいことは、信仰心を持てば、どんな荒波も怖くはないはずでしょう?主がついていますよ、と信者に問いかけているわけなのです。

異教徒である私も、これには脱帽です。信念を持つことの大切さを、教えてくれます。

カンタータ第83番「新しき契約の喜ばしき時」BWV83

これも冒頭からトランペットが鳴り響き、いかにも明るい雰囲気です。この曲からは初演も1724年の2月となり、新年というよりは、それより後のキリスト教の祝日のために作曲された曲です。

しかし、内容としては、死を平安と喜びをもって迎えようというもので、キリスト教の根幹に触れる、かなり内容としては重い曲です。「おくりびと」がなぜオスカーを取ったのか、なんとなくわかるような気になる1曲です。

もちろん、この曲を聴けばその理由がわかるわけではありませんし、わたしもそこまでの知識があるわけではありません。しかし、キリスト教徒が死をどのように迎えるよう教育されているのか、その一端が覗けます。

カンタータ第190番「主に向かいて新しき歌を歌え」BWV190

この曲の初演は、1724年1月1日。つまり、元旦です。もちろん、新年のための曲です。ですので、最初からこれも金管が鳴り響き、壮麗な雰囲気です。

歌詞も、神の御名をたたえる内容であり、私たちが普通迎える新年とは違った、プロテスタントの正月というものの一端に触れることができます。


全体的に、明るい曲が多く、聴いていて楽しいです。もともと、バッハのカンタータは舞曲を多用していて、重たい感じはないのです。ミサ曲、特にレクイエムの影響なのか、日本人の多くがキリスト教の宗教曲は重たいと感じることが多いのですが、実際聴いてみると、以外にも、日本の民謡にも通じるくらい、舞曲が多用されていて、その後の国民楽派よりも私は民謡を強く感じます。

恐らくそれは、日本人の信仰が、八百万の神と結びつき、それが奉納舞踊である神楽などに発展したことと、無縁ではないのではないかと思います。

バッハ カンタータ全曲演奏シリーズ21
鈴木雅明指揮
バッハ・コレギウム・ジャパン
(BIS-CD-1311)