かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~グリンカ 管弦楽作品集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、グリンカ管弦楽作品集を取り上げます。

グリンカって誰?って人も多いかと思います。ですが「ルスランとリュドミラ」序曲を聴いて「これ聴いたことある!」という人は多いかもしれません。

 

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ロシア国民楽派の草分けとも言うべき人です。とはいえ時代としては前期ロマン派。その意味ではヨーロッパの影響も受けている人です。そもそも、当時の保守層はヨーロッパ古典派のほうに傾いていたというだけですしね。

とはいえ、ここに収録されている作品達が必ずしもグリンカ「らしさ」を伝えているかと言えば、どうかなあと首をかしげる作品もあります。例えば1曲目の二つのロシア主題による交響曲。これシェバーリン版なのですが、ということはシェバーリンが補筆しているってことです。しかしそのシェバーリンはそれほど評価できる人では実はないんです・・・・・

 

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もちろん、シェバーリンは卓越した作曲家なんですが、しかし一時期ソ連当局に従順だった時期があるものですから・・・・・特にチャイコフスキーの「1812年」の校訂は酷いものです。それでもジダーノフ批判の犠牲者になってしまうんですから・・・・・

なので、グリンカらしさという意味では、2曲目以降のほうが適切だろうと思ってます。ロシアらしさとは何かに目覚めた二つのスペイン序曲。のちの作曲家たちに多大な影響を与えた「ワルツ幻想曲」などなど、2曲目から最後までのほうがグリンカらしさが出ているように思います。

指揮するはクラシック・ファンの中では隠れたファンが多いスヴェトラーノフ。この人が振るとオーケストラが生き生きとするのですよね。実際このアルバムでもロシア国立響の生命力のある演奏を引き出しています。こういう演奏を聴いてしまうと、私も愛情をこめて「スヴェトラさん」と言ってしまいます。

グリンカという作曲家の生命力を存分に表現しているこの演奏は、さすがスヴェトラさん!と膝を打ってしまいます。

 


聴いている音源
ミハイル・グリンカ作曲
二つのロシア主題による交響曲(シェバーリン版)
スペイン序曲第1番「ホタ・アラゴネーサ」
スペイン序曲第2番「マドリードの夏の夜」
ワルツ幻想曲
クリコニクの悲劇「ホルムスキー公」のための付随音楽より
初期のポルカオーケストレーション:M.バラキレフ
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮
ロシア国立交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ラモー クラヴサン曲全集3

東京の図書館から、3回シリーズで府中市立図書館のライブラリである、ラモーのクラヴサン曲全集を取り上げていますが、今回はその第3回です。

え、以前取り上げたときには2回で終わってませんか?という方もいらっしゃるかもしれません。はい、実はもうほとんど取り上げているのですが・・・・・

なんと、この全集では、3枚目に「優雅なインドの人々」が収録されているんです!このブログでも以前グラン・バレ(いわゆるバレエ曲)として取り上げている作品です。

グラン・バレですから本来は舞曲です。しかしそれをクラヴサンで演奏してしまうとは・・・・・どうやらラモー自身の編曲のようで、CDには1736年ごろと記載がありました。もともとのグラン・バレ版は1735年の成立です。

この「優雅なインドの人々」、上演当時はものすごい人気で、ラモーが抜粋版を製作したというエピソードも伝わっています。となると、クラヴサン版があっても不思議はない、ということになろうかと思います。

なぜなら、通常オーケストラによる部分を鍵盤楽器に編曲するという場合、オーケストラが用意できないケースでも演奏できるようにという意識がないとしないからです。つまり、あまりにも人気なのでオーケストラがない地域でも演奏できることを想定した編曲だと言えます。

これなら、たとえば王室の小さな場所でも、多少の踊れるスペースがあれば、クラヴサンさえ用意できれば上演可能だということを示しています。この伝統が、古典派以降ロマン派へと移り、権力の中心が王から市民へと移っても受け継がれていったと言えるでしょう。

それだけ、人気だったということが、このクラヴサン版があることで言えるのですね。演奏しているボーモン、そして第2クラヴサンのモランの二人はあくまでも楽しんで弾いており、純然たるクラヴサン作品として弾いていますがそれでも不自然ではないですが、実際にはバレエと一緒に演奏したんだと思います。もうすこしテンポが揺れて演奏した野田とは思います。

とはいえ、クラヴサン、つまりチェンバロですから、それほど遅く演奏したとは思えません。意外とバロック・ダンスの動きは激しかったこともまた、念頭に置く必要はあるでしょう。その点では、言われている「抜粋版」というのが実はクラヴサン版であり、バレエの部分になにか省略できる部分がそもそもあった可能性もあるのでは?と思います。それが純然たるクラヴサン版として演奏しても不自然がないという点につながっているのではないでしょうか。

バロック音楽がいかなるものかを、私たちに省みさせる、素晴らしい演奏だと言えるでしょう。

 


聴いている音源
ジャン・フィリップ・ラモー作曲
優雅なインドの国々(クラヴサン版、1736年頃)
皇太子妃(1747)
オリヴィエ・ボーモン(クラヴサン
マルシアル・モラン(第2クラヴサン

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東京の図書館から~府中市立図書館~:ラモー クラヴサン曲全集2

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、府中市立図書館のライブラリである、ラモーのクラヴサン曲全集、今回はその2枚目をご紹介します。

ラモーのクラヴサン曲の中でも代表曲の一つ「新クラヴサン曲集」と「5つの小品」が収録されています。「新クラヴサン曲集」は1729~30年にかけて作曲された作品ですので、ちょうどマウンダー極小期が終わりようやく地球が暖かくなってきた時代に作曲されています。「5つの小品」は1741年作曲なので、マウンダー極小期よりは「死」というものが近い時代ではなくなった時期の作曲です。

それゆえに、楽しさと気品、愉悦などが同居し、特に「5つの小品」のそれぞれの作品の明るさには目を見張るものがあります。もちろん、陰の部分もあり、軽薄な点は何も感じることができません。

バロック音楽は、音の細かさによって装飾する部分もあるので、特徴がよく表れている作品達だと言えます。そんな特徴を自然体でボーモンは弾いています。その自然体は演奏は、自然と作品の生命を引き出し、特徴が浮かび上がり、私たちは愉悦と喜びに満たされていきます。さすがの演奏です。

おそらく、作品が紡ぎだされた「時代」とその精神、そして内面への共感があるんだと思います。人間の死がより一層近かった、バロック時代。単に医療技術が現代より遅れているというだけでなく、太陽黒点が少ないことによる寒冷化によって命が失わて行くのを目の当たりにするという時代に紡ぎだされた作品ということへの共感と愛を、この演奏からは感じるのです。

年代物のクラヴサンにより紡ぎだされる演奏がさらに時代精神への共感を感じさせます。その古さからいずる気品も感じるこの演奏は、ラモーの芸術が内包する繊細さを、存分に表現していると言えるでしょう。

 


聴いている音源
ジャン・フィリップ・ラモー作曲
クラヴサン曲集(1729~30年頃)
5つの小品〈1741年)
オリヴィエ・ボーモン(クラヴサン

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東京の図書館から~府中市立図書館~:ラモー クラヴサン曲全集1

東京の図書館から、今回から3回に渡りまして、府中市立図書館のライブラリである、ラモーのクラヴサン曲全集を取り上げます。

まず第1回は1枚目です。ラモーの代表作とも言っていい、クラヴサン曲集第1巻と第2巻を中心に収録されています。

さて、ラモーという作曲家、一応おさらいしておきましょう。フランス・バロックを代表する作曲家で、クラヴサン曲や舞曲、オペラを数多く作曲しました。

 

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フランスバロックだから精神性がない!とか言う人もいるかもしれませんが、待ってください。ラモーを聴いていますと実に精神性を感じるのです。勿論、バッハのような経験をしているとは言えないのでそれほど深くはないかもしれませんが。しかし、彼が生きた時代はマウンダー極小期という、地球が寒冷化し、そのため多くの人が死んだ時代だったということは、踏まえておく必要があると思います。

 

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だからこそ、明るい作品もありますが実際陰のある作品もあります。そしてその陰を持っている作品が実に味わい深いのです。

ラモーのクラヴサン曲に関しては、以前も取り上げたことがありますので詳しく紹介するつもりはこのシリーズではありませんが、しかしやはりラモーの半生はマウンダー極小期の時代だった、ということはおさえておく必要があるだろうと思います。芸術、特に絵画に強い影響を与えた、太陽黒点が極端に少なくなった、マウンダー極小期。特に今この2022年という時期はちょうど同じように太陽黒点が少ない時代なのです。そんな時期にラモーの作品を聴いて様々考えるというのも、必要な作業でありましょう。

1枚目に収録されている作品は、「プティ・マルトー」以外はすべてマウンダー極小期最中あるいは終わった直後くらいの作品です。意外と暗めな作品が多いことに気が付かされます。軽薄な作品が見られないことも非常に重要です。

そして、演奏するのはフランスのクラヴサン奏者、オリヴィエ・ボーモン。しかもです、歴史的な楽器を使っての演奏かつそのロケーションも歴史的な点を踏まえたリヨン装飾美術館あるいは国立パリ高等音楽院の楽器博物館という場所が選択されています。クラヴサンよりも小さなスピネット(ここではエビネット)も使われており、時代の「音」に限りなく近づけることによって、ラモーの音楽の本質を見極めようとしているように思います。

その音色からも、実に誠実な音しか聴こえてきません。そしてその誠実な音からは、私たちがラモーという作曲家あるいはその時代に対する偏見は間違いであるとの認識にたどり着かざるを得ません。人間が持つ喜怒哀楽が、それぞれの作品にはしっかりと宿っており、誠実に演奏すれば自然と浮かび上がるように作品がつくられていることがはっきりとしてきます。

ラモーという作曲家の真の姿を浮かび上がらせる演奏だと言えるでしょう。

 


聴いている音源
ジャン・フィリップ・ラモー作曲
クラヴサン曲集第1巻
プティ・マルトー(1754年以前)
ロンドー形式のメヌエット(1724年)
クラヴサン曲集第2巻
オリヴィエ・ボーモン(クラヴサン

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東京の図書館から~小金井市立図書館~:朝比奈隆と新日本フィルによるブラームス交響曲全集3

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、小金井市立図書館のライブラリである、朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、第3回の今回は3枚目をご紹介します。

3枚目に交響曲第3番と第4番が収録されています。ロケーションは1枚目、そして2枚目と同じくサントリーホール

このサントリーホールというのが、朝比奈氏にとって意味があったのかなかったのか。その判別はなかなか難しいでしょう。一つだけ言えることは、いわゆる「朝比奈節」と言ったものはほとんど見受けられないということ。この全集の特徴だと言えるでしょう。

それだけに、印象的なのがこの3枚目では第4番の演奏です。第4楽章、ついにその「朝比奈節」が主題再現部で登場!そしてヒートアップしてクライマックス!

第3番は朝比奈節がない代わりに、第1番と第2番の様に朝比奈氏としてはハイテンポな演奏で聴衆を酔わしていきます。最後聴き終わるとどこか光悦に浸っている自分がいるのです。

こういった演奏は、朝比奈氏と大阪フィルだとセッション録音で顕著なのですが、実はこの新日本フィルとの全集はすべてライブ録音。その割には朝比奈節が第4番の第4楽章にしか見られないという珍しい録音になっているのです。こうなるとほぼ間違いなく、朝比奈氏にとって「朝比奈節」とは解釈の引き出しの一つでしかないということは明白であろうと思います。

そもそも、「朝比奈節」などなくても、朝比奈氏のタクトであればどのオーケストラでも十分説得力があり、そして感動してしまう演奏が可能なのだ、ということを明確に示していていると言えるでしょう。そのうえで、朝比奈節が入ったら・・・・・卒倒してしまいかねませんね、聴き手としては。ほんと。

朝比奈氏の深い譜読みと同時に、その朝比奈氏がまず第一の作品のファンである・・・・・そこがこの演奏の肝なんじゃないかって思います。まず自分が作品を楽しんでいる、それがオーケストラへと伝染する。そしてその楽しさが聴き手へと伝わっていく・・・・・そんな印象をこの演奏からは受けます。ただただそれだけなのに、しかし力強いメッセージとして明確に伝わってきます。

そもそも、この全集を聴いていて、所謂ブラームスの「暗さ」を全く感じません。むしろ明るい生命力を存分に感じます。ブラームス交響曲にこれほどの明るさと生命力があったのか!と思い知らされております。朝比奈氏から「君は全然ブラームスを知らないねえ」ってウィンクされているような気がします。いやあ、参りました!

朝比奈氏と言えばブルックナーというイメージが強いかと思いますが、やはりブラームスベートーヴェンのほうが明確なメッセージを持つタクトを振るなあと思います。しかも朝比奈節が必ずしもなくても、です。となると、朝比奈節というのは、特にブルックナー交響曲に対する、朝比奈氏の解釈の一つでしかないだろうなあと思います。そうなるとむしろ、ブルックナーにおける朝比奈氏の、音楽史を踏まえた明快な解釈が朝比奈節だというのが、正当な評価ではないでしょうか。

ということは、朝比奈隆という指揮者は、私たちが知るよりもはるかに大きな巨匠であったと、言えるのではないでしょうか。その意味でも、これから再評価が進んでいくことでしょう。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第3番ヘ長調作品90
交響曲第4番ホ短調作品98
朝比奈隆指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:朝比奈隆と新日本フィルによるブラームス交響曲全集2

東京の図書館から、3回シリーズで取り上げております、朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集、第2回の今回は第2番を収録した2枚目をご紹介します。

さて、レーベルをご紹介し忘れていましたが、おそらくフォンテックだと思います。データが同じですので。

www.hmv.co.jp

このHMVのサイトには、レビューが載っていますが、そこには「特に第2番がいい」とあります。うん、どんなにいいんだろうと思って聴いてみますと・・・・・

この全集ですが、ここまであまり朝比奈節を聴くことができないんです。しかし、この第2番、確かに素晴らしい演奏なんです。ゆったりとしたテンポの中に情熱的な精神が宿っており、もう隠しきれずに解き放たれている状態です。

その情熱がしり上がりに高揚し、最後の第4楽章では朝比奈節どこ行った?というくらいのハイテンポでクライマックス!まるで朝比奈氏が新日フィルとブラームスを演奏することを楽しんでいるかのようです。

いや、確実に楽しんでいると思います。だからこそ私の魂を確実に貫いていきます。新日本フィルとでも朝比奈節でいいはずなんですが、ほとんど聞こえてきません。しかし朝比奈節があるかのような、情熱的な演奏がそこにあります。朝比奈節?そんなのどうでもいいんだと言いたげです。しかもその名を冠されている朝比奈氏自身がそう言っているかのようなのです。

これは私の推測でしかありませんが、「朝比奈節」というのは大フィルと朝比奈隆という「関係性」の中でしか存在しない「世界線」なのではないでしょうか。そして朝比奈氏自身はその「朝比奈節」には実はこだわっておらず、大フィルとにだけファンサービスとして行ってきただけではないのか、ということです。だからこそ、この新日本フィルとでは朝比奈節が聞こえてこないのではないか、と私は推測しているのです。

朝比奈隆の魅力は朝比奈節にある・・・・・そんな評論を書く人も過去にいたと記憶していますが、私は真の朝比奈隆の芸術は違うんじゃないかと思います。朝比奈節というのは朝比奈氏の作品解釈の一つの引き出しに過ぎない、そう思います。特にこの第2番の演奏を聴きますと強く感じるところです。

その意味でも、朝比奈隆の真の評価は、これから再評価されることで行われることになると私は確信しています。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第2番ニ長調作品73
朝比奈隆指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:朝比奈隆と新日本フィルによるブラームス交響曲全集1

東京の図書館から、今回から3回シリーズで、小金井市立図書館のライブラリである、朝比奈隆指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏によるブラームス交響曲全集を取り上げます。

すでに朝比奈さんは大阪フィルと全集を出しており、この後東京都交響楽団ともブラームスは全集を出しています。いくつか全集がある中で、小金井市立図書館にあったのはこの新日本フィルとのものでした。ちなみに以前府中市立図書館のライブラリとして、大阪フィルとの全集は取り上げています。

www.hmv.co.jp

新日本フィルとの共演は珍しいことではなくて、結構朝比奈さんとはセッションを行っています。しかしこうがっちりとした全集となると珍しいかもしれません。

まずは1枚目。交響曲第1番が収録されています。ロケーションはサントリーホール。大フィルとはフェスティバルホールという、「昭和な」ホールでしたがこちらはザ・シンフォニーホールに続いた日本で2番目に開館した「残響の長い」クラシックコンサート専用ホールでの収録。こういう時に朝比奈さんがどんなタクトを振るのかも、こういった録音は楽しみの一つでもあります。

聴いていますと、残響を特に意識してというのはないのですが、しかしオーケストラを朗々と鳴らして、絶大な効果が上がっているのはこの録音の方ではないかと思います。それはやはり、ロケーションがサントリーホールであるというのは明白でしょう。もし残響というのであれば、とても細かい点なんですが、金管の鳴らし方です。とても印象的になっています。

第1楽章はかなりゆったりとした感じを受けますが、第2楽章以降はそれほど遅くはないんです。そして全体的には朝比奈節というものはそれほど強調されていなくても、朝比奈隆の個性がオーケストラによって表現されているという、不思議な演奏。しかし納得してしまうし、感動もする。やはり朝比奈氏の深いスコアリーディングを感じるところです。

大フィルとのセッションでは朝比奈節の典型である「見えを切る」ことが多いのですが、この新日フィルとのセッションでは、むしろすっきりとした演奏でゆったりとという感じなんです。それでも誰かのまねでは決してない独創性。これにはもう脱帽するしかありません。朝比奈隆の正当な評価というのは、むしろこれからなのではないのでしょうか。

この新日フィルとの録音を聴きますと、むしろこれからが朝比奈隆という指揮者が評価される時代なのではないかと思うのです。

 


聴いている音源
ヨハネス・ブラームス作曲
交響曲第1番ハ短調作品68
朝比奈隆指揮
新日本フィルハーモニー交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。