かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ベートーヴェン バガテル集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はベートーヴェンのバガテルを収録したアルバムをご紹介します。

バガテルと言えば、ベートーヴェンピアノ曲の中でソナタと共に一つの大きな柱となっているジャンルです。特にその言葉の通り、ソナタよりは肩が凝らない作品が多いのですが、とはいえ、実は作品番号がついているもの結構あるのも事実です。

このアルバムに収録されたバガテルも、そのほとんどは作品番号がついているものです。特に最後のバガテルである作品126は圧巻!まるでピアノ・ソナタのような雰囲気を持っています。

あの「エリーゼのために」も実はバガテルですが、とはいえかなり荘厳な雰囲気を持っています。ベートーヴェンは気晴らしというよりは、ソナタよりは簡便なものという意味合いでバガテルを定義していたようです。そのため、ここに収録されている作品はどれも決して「気晴らし」という感じではありません。ベートーヴェン「らしさ」が存分に味わえるものばかりです。

今回も曲数がそれなりにあるので、それぞれの説明は読者の皆さんで検索していただきたいのですが、いずれにしても、ベートーヴェンの深い思考を裏打ちした作品ばかりです。

そんな作品達を演奏するのは、ブーフビンダー。ブッフビンダーともつづられるこのピアニスト、かつてのテルデック専属のピアニストで、実にステディかつダイナミックな演奏をしてくれます。時には思い入れたっぷりにピアノをタッチし、自身の感情が強く反映されているような部分もあります。少なくとも「気晴らし」なんて解釈は全くせず、基本的にはベートーヴェンとおなじ「ソナタとおなじような断片」というような定義づけをしている点も高評価です。

ピアノ・ソナタよりはぞんざいに扱われることが多いバガテルですが、ブーフビンダーはソナタと同等に扱っているように思えます。そこが私がバガテルをベートーヴェンと同じように定義づけしていると判断するポイントです。こういう演奏を聴きますと、ベートーヴェンソナタだけで判断しちゃあいけねえなあ、と寅さん風に言いたくもなるのです。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
7つのバガテル作品33
11のバガテル作品119
バガテル ハ長調WoO56 アレグレット
バガテル ハ短調WoO52 プレスト
6つのバガテル作品126
ルドルフ・ブーフビンダー(ピアノ、スタインウェイ

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東京の図書館から~小金井市立図書館~:ロシア クラリネット作品集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ロシアのクラリネット作品集を取り上げます。

正確に言えば、クラリネットソナタ集と言っていいのではないかと思います。ピアノも伴奏としてついていますので。ただ、「ソナタ」という曲はこの中には2曲しか収録されていませんが。

作曲者も、ロシアと言っても日本ではあまりなじみがない、コアな人たちに有名な人ばかり。グリエールに、タネーエフ、ゲディケ、そしてチェレプニン、などなど。この4人ですら、あなたはその名を知っていますか?

チェレプニンはこのブログでも伊福部の時にも出てきましたし、それなりに有名な作曲家ではない唱歌。しかしそれ以外は果たして?という感じはします。ですがこれがどれもロマンティックで、聴いていてまさにロシアという感じです。

もっと言えば、体制とか反体制とかそういう匂いが一切ないんです。どれでも自分の表現をしている作品ばかりで、特にゲディケはこんなにも優れた作品を書くのか!と驚きも存分にあります。

一番有名なストラヴィンスキーの個性もまた素晴らしいですが、それ以外の作曲家たちの、「人間の喜びや哀しみ」を表現した作品たちは、まさにその輝きを放ってやみません。

もちろん、このアルバムはクラリネットの曲集ですから、そのクラリネットの音色、そしてその音色を使った表現も聴きどころ。暖かく哀愁に満ちたクラリネットの音色を存分に使った演奏は、それぞれの作品がそもそも持っている「内面性」を自然と浮かび上がらせます。クラリネットはドレスラー、ピアノはペトルシャンスキーとあまり日本ではなじみがない演奏家たちですが、起伏こそない作品達にしっかりと生命が宿っていることを述べるその演奏は味わい深いものがあります。

聴けば聴くほど味が出るという感じのこの演奏。ともすれば地味に見えますが、しかしよく聴けば聴くほど、その世界に引き込まれていくアルバムです。

 


聴いている音源
セルゲイ・イヴァノヴィチ・タネ―エフ作曲
カンツォーナ ヘ短調
アレクサンドル・セルゲイエヴィチ・タネ―エフ作曲
アラベスク 作品24
アレクサンドル・グレチャノフ作曲
ソナタ第2番作品172
アレクサンドル・フェドロヴィチ・ゲディケ作曲
ノットゥルノ 作品28-1
練習曲 作品28-2
ボリス・ウラディーミロヴィチ・アサフィエフ作曲
コンチェルティー
ラインホルド・モリテスヴィチ・グリエール作曲
ロマンス
悲しいワルツ
コンスタンチン・ゲルギエヴィチ・モストラス作曲
リムスキー=コルサコフの主題による練習曲
イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲
クラリネットのための3つの小品
ニコライ・二コラエヴィチ・チェレプニン作曲
エスキス(素描)
アレクサンドル・チェレプニン作曲
1楽章のソナタ
アントン・ドレスラー(クラリネット
ボリス・ペトルシャンスキー(ピアノ)

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東京の図書館から~府中市立図書館:~ピアノ音楽の改革者たち~20世紀アメリカ・ピアノ作品集~

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、20世紀アメリカのピアノ作品集を収録したアルバムをご紹介します。

そもそも、アメリカのクラシック音楽はそのほとんどが20世紀に入って成立したものであると言ってもいいくらいだと思います。そして地理的には距離があるとしても、日本よりはヨーロッパに近いこともあり、最新の流行を反映するのは早いような気がします。

ここに収録されている作品達の多くはセリー音楽などいわゆる私が「20世紀音楽」と定義する現代音楽が並んでいます。中には電子音楽とのセッションも。その一方で印象派の音楽も並んでおり、20世紀のアメリクラシック音楽の奔流を感じることができる一枚となっています。

作曲者数がかなり多いので、最後に曲名と作曲者を提示するだけにとどめ、あとは読者の方に検索していただくことにしたいと思うのですが、私が知らないアメリカ現代音楽作曲家たちがずらり。その中でもヘンリー・カウエルは主導的役割を果たした人だと言っていいでしょう。その弟子であるジョン・ケージもこのアルバムの中に名を連ね、ケージらしいオスティナートな作品が収録されています(バッカス祭)。

そう、ここにある作品を聴いてさらに驚くのは、これらアメリカの作曲家たちが注目したのは自国というよりはむしろアジアだった、という点です、最初の2曲は中国からのインスピレーションですし、ケージの音楽であるオスティナートはそもそも伊福部が得意としたもの。もちろん、ラヴェルの「ボレロ」のように機械的なものに生命を感じるというような延長線上にあることもありましょうが、ジョン・ケージ伊福部昭と同じ時代を生きた作曲家だったということは、念頭においていいと思います。

ja.wikipedia.org

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もちろん、自国を顧る動きもありますが、それはクラシック音楽の正統から外れるという意味で、実はアジアの音楽への興味と表裏一体をなすものです。アジアの音楽も立派な民俗(民族)音楽ですので。それは左寄りの人が主導的役割を果たしてくれたというのはわきに置いておいて(実は言いたいことの一つではあるのですがここでは割愛します)。

これら民族、あるいは民俗的な音楽がクラシック音楽に加わったことで、クラシック音楽の多様性はより増し、魅力的になっているとは言えるでしょう。その意味ではまさに、ここに収録されている作品の作曲者たちはまさに「改革者」であったと言えるでしょう。

そんな作品を、思う存分楽しんで弾いているのが、アラン・フェインバーグ。こんな20世紀音楽を弾くかと思えば、古典もしっかり弾いている人で、その守備範囲の広さと表現力に驚かされます。1曲目のグリッサンドの華麗さだけではなく、タッチの差による深い表現も魅力です。もう爽快感満載で、ともすれば不協和音で満ちているこのアルバムを聴いている時間があっという間に過ぎ去っていきます。

これぞプロ。嫌いかもしれないような和声でもしっかり聴かせる説得力。こんな魅力的なピアニストがいたのかと、刮目せざるを得ない状況です。いやあ、これぞ幸せな瞬間です。

 


聴いている音源
ピアノ音楽の改革者たち~20世紀アメリカ・ピアノ作品集~
①ア・ラ・シノワーズ作品39(レオ・オレンシテイン)
②チャイナ・ゲイツジョン・アダムズ
③様々なアクセントのピアノ練習曲(ルーズ・クロフォード・シーガー)
④エオリアン・ハープ(ヘンリー・カウエル)
⑤ピアノと電子音楽のためのシンクロニズム第6番(マリオ・ダヴィドフスキー)
⑥地上から見たタンゴ(ジョン・ハービソン)
⑦白い孔雀(チャールズ・T・グリフェス)
⑧時間稼ぎ(ミルトン・バビット)
歓喜(ヘンリー・カウエル)
⑩プレリュード(コンロン・ナンカロー)
⑪12・トゥ・タンゴ(ミルトン・バビット)
⑫遺跡(ヘンリー・カウエル)
バッカス祭(ジョン・ケージ
⑭練習曲第20番(チャールズ・アイヴズ)
⑮アクア・パオロの泉 作品7-3(チャールズ・T・グリフェス)
⑯セヴン(ラルフ・シャピー)
⑰ルビー・マイ・ディア(セロニウス・モンク)
アラン・フェインバーグ(ピアノ)

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今月のお買いもの:ケンプが弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番

今月のお買いもの、令和3(2021)年5月に購入したものをご紹介します。ヴィルヘルム・ケンプがピアニストを務める、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番と第5番「皇帝」が収録されたアルバムをご紹介します。e-onkyoネットストアでの購入、flac96kHz/24bitのハイレゾです。

実際にこれをハイレゾとみなしていいのかどうかは疑問ですが・・・・・というのも、ご存じの方も多いと思いますが、この録音はケンプが収録したベートーヴェンのピアノ協奏曲全集からの分売であり、かつ録音年代が1961年というステレオ初期のものだからです。

ケンプが生きた時代を考えたとき、この録音を買うかどうか、実は相当悩んでいます。録音年代を考えたときマスターテープがデジタルだとは思えないからです。ということは、デジタルリマスターの上アップサンプリングされているということを意味し、であれば正確には疑似ハイレゾに分類されるべき音源だからです。

とはいえ、レーベルはドイツ・グラモフォンなのでスマホで聴きますと本当にいい音で鳴りますが、ではスピーカーでは?となると、途端に年代を感じざるを得ません。

演奏自体は、まるで跳ねるかのような生命力あふれる演奏で、熱いものが聴いていて魂で湧き上がってくるのを感じざるを得ず、感動の嵐です。一方でピアノのタッチは大胆かつ繊細。まさに名演と言っていい演奏です。が・・・・・

ソニーのスピーカー、SRS-HG10で聴きますと、どこかぼやけるんです。もちろんスピーカーや内臓アンプのせいもあるでしょう。特にアンプを替えれば変わるかもしれません。しかしこれがほぼ原音だとすれば、ステレオ初期ですからまああり得ることでもあります。

解像度が低い反面、ケンプや、オケであるベルリン・フィル、そして指揮者ライトナーらの情熱も同時に感じるのです。余計なものを排除してデータそのものを聴いてみれば、確かに解像度は落ちるものの、その生命力をエネルギーは無限大と言ってもいいくらい満ち溢れ、聴けば聴くほどついつい絶望しそうになる時に生きる希望が湧いてきます。

特に解像度が低い中で第5番「皇帝」が放つキラキラカラー。それを聴くだけで幸せになります。さらに今回、あえてさらにDSEE HXを動作させてアップサンプリングしながら聴いています。そこまでやればスピーカーでもピアノの解像度は増し、空気感が増します。その分さらに演奏が放つエネルギーは無限大になっていきます。

解像度という点では残念な点もあるのですが、演奏自体は生命に満ち溢れた素晴らしいもの。調べればCDでは簡易包装で売られていることもあるそうで、それならハイレゾで十分だね、と思います。こういう復刻はどんどんしてほしいです。当たりはずれはあると思いますが、データなら場所取りませんし。思い切って冒険ができるというものです。そしてその冒険の中であたりが出たときの喜びは、何物にも代えがたいギフトとなることでしょう。

 


聴いているハイレゾ
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
フェルディナント・ライトナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(Deusche Gramofon flac96kHz/24bit)

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神奈川県立図書館所蔵CD:パガニーニ 24のカプリース

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は神尾真由子が弾くパガニーニ作曲24のカプリースを収録したアルバムをご紹介します。神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は神尾真由子が弾くパガニーニ作曲24のカプリースを収録したアルバムをご紹介します。


とても有名な作品であるにも関わらず、実はほとんど聞いたことがないというのがこの「24のカプリース」でした。もちろん、全く聞いたことがないというわけではなくて、最終曲の第24番だけはある、という感じです。
パガニーニと言えば、超絶技巧というイメージも強く、確かにこの作品もそんな雰囲気が漂います。

ja.wikipedia.org


ですが、ウィキにある通り、この作品ではあまりパガニーニらしさが出ていないとされています。カプリースとは奇想曲なので、特段もったいぶる必要もないはずなのですが、実際に人が弾く、ということも考慮に入れたのかもしれません。


とはいえ、やはり超絶技巧気味な部分はたくさんあるのですが、それ以上にこの曲で目立つのはじっくり歌わせる部分なんですね。そしてその部分にフォーカスしているのが、この神尾真由子の演奏だと思います。


おそらく、最後の第24番を聴けば驚くかと思います。それほどことさらに超絶技巧の部分を強調していないことに。むしろ歌うことに徹しています。ともすればそれは多少不全感も残るのですが、視点を変えれば、「楽譜通りに超絶技巧で弾けばそれでいいのですか?」という、演奏者神尾真由子からの問いであるようにも思えます。


つまり、神尾真由子にとって、超絶技巧とは単に表現の一つでしかない、ということです。パガニーニだから激しく演奏しなければならないという法はないはずで、神尾真由子という人間のフィルターを通して、ひとつの「歌」として聴いてみると、なんと味わい深い作品ばかり並んでいるんだろうと思います。


こういう発見をさせてくれるのがプロの仕事だなあと思います。演奏者は機械ではなく、表現者です。ですから楽譜というデータをいかに扱うかが重要なわけです。楽譜とはオープンデータなので、個人データを管理するのとは違い私たち一人一人が自由に取り扱うことができます(その代わり著作権料を払う必要がありますが)。その恩恵を存分に受けて、自在に表現したのがこの演奏であろうと思います。
できれば、激しさの中に歌う表現がたくさんあるとよかったかなと思う部分もありますが、それはもしかするとまだ私がこの作品に対する理解が足らないせいなのかもしれません。

 

聴いている音源ニコロ・パガニーニ作曲無伴奏ヴァイオリンのための24のカプリース(奇想曲)作品1神尾真由子(ヴァイオリン)


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神奈川県立図書館所蔵CD:トランペット協奏曲集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はトランペット協奏曲を特集したアルバムをご紹介します。

この手のアルバムですが、実は以前「今月のお買いもの」コーナーで横浜の関内にあった「プレミアムジーク」というお店で購入したアルバムをご紹介したことがあります。実はそのアルバムとソリストは同じ、モーリス・アンドレです。

だからこそ借りてきたという点もあります。特にアンドレの艶のある音色と歌うトランペットは魅惑的。実はハイドンと父モーツァルトは重複していますが(録音は異なる)、このアルバムを借りた最大の理由は、最後に収録されているモーツァルトのトランペット協奏曲にあります。

え?いわゆる「ヴォルフガング」がトランペットのも作曲していないよね?という、ア・ナ・タ。その通り、ヴォルフガングは作曲していません。しかしこの作品がK.314だと言えば、まさか!と膝を打つかと思います。そうなんです、オーボエ協奏曲をトランペットに編曲したものなんです。とはいえ、その編曲はモーツァルト自身ではなく、ソリストアンドレです。

そもそも、K.314は長らくフルート協奏曲として知られてきた作品です。ですがそもそもオーボエ協奏曲ではという疑念が長らく存在し、近年になってその存在が明らかになった作品です。であれば当然ですが、「縦笛」系統なら編曲しても差し支えない、ということになります。

少なくとも、調性に違いがあるだけでオーボエとフルートの二つがほぼ同じ内容を持つという点にアンドレが着目したのは間違いないでしょう。そしてこれはあくまでも私の推測ですが、古典派において、この二つの楽器は決して違う系統の楽器ではなく、「縦笛」であったということが、アンドレがこの編曲を行って収録した理由ではないかと思っています。そもそも、モーツァルトの時代までは、フルートとは現代のリコーダーを指すからです。現代のフルートの原型はフラウト・トラヴェルソです。楽譜では「トラヴェルソ」と記載されることが多い楽器です。

となると、オーボエもそもそもは縦笛ですから、モーツァルトの中では同じ楽器である、という意識はあったのではないかと思います。とはいえ、楽器には調性が決まっていることが多いため、移調をした、ということではなかったかと思います。そんなことをアンドレも考えて、この編曲をしたんだろうなあと想像できるわけです。

それにしても、聴きますと、まるで調性はフルート協奏曲のようにすら聞こえます。ですがクレジットはあくまでも「原曲:オーボエ協奏曲」であり、ハ長調。決してニ長調ではありません。そのあたり、アンドレの職人技も光ります。

実はこの録音は、私が某SNSで主宰する鑑賞会において、驚きと賛美をもって迎えられた演奏です。というより、その鑑賞会で使える!と判断したからこそ借りてきた、ともいえるアルバムなのです。まさか、あのフルート協奏曲第2番に、別の編曲があろうとは!という驚きです。そしてアンドレの素晴らしき表現力!ブラヴォウの嵐でした。

アンドレのトランペットはいつ聴いても飽きませんし、豊潤で素晴らしい!そして生命力の豊かさ。生きることの賛美が歌い上げられているのも好印象です。ああ、このまま聴いていいですか・・・・・あ、職場から電話がかかってきてしまったので行かなきゃ!遅刻してしまう!

 


聴いている音源
フランツ・ヨゼフ・ハイドン作曲
トランペット協奏曲変ホ長調Hob.VIIe-1
トランペット協奏曲ハ長調Hob.VIIe-C1
レオポルト・モーツァルト作曲
トランペット協奏曲ニ長調
ヴォルフガング・アマデウスモーツァルト作曲
トランペット協奏曲ハ長調K.314(原曲:オーボエ協奏曲)
モーリス・アンドレ(トランペット)
テオドール・グシュルバウアー指揮
バンベルク交響楽団ハイドン変ホ長調
フランツ・リスト室内管弦楽団ハイドンハ長調モーツァルト
フランソワ・パイヤール指揮
パイヤール室内管弦楽団(Lモーツァルト

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東京の図書館から~小金井市立図書館~:ボイス 8つの交響曲

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、ボイスの8つの交響曲を収録したアルバムをご紹介します。

ボイスって誰やん?まさか声さん?いやあ、もう「おちょやん」も終わりましたからそんなんボケなくてもええねんw英国は時代的にはバロック時代の作曲家です。バロックというよりは多分ギャラントだとは思いますが、音楽的にははっきり言ってバロックです。その意味では「古い人」だったのでしょう。

ja.wikipedia.org

まあ、「国王の音楽師範」になる人ですからねえ、様式的には古いものを書く人であったのだろうと思います。この役職、当時は終身だったそうですし。

ja.wikipedia.org

収録されている「8つの交響曲」は上記ウィキの項目にもある作品ですが、実は8つの交響曲をただ単に集めたというのではなく、その8つを一つの策品番号にまとめてあるのです。その意味でも、とてもバロック的だと言えます。とはいえ、バロックの時代に交響曲ってジャンルはなし。その意味でギャラント時代を生きた人ではあるわけです。

もっと言えば、交響曲草創期の作曲家だと言えるでしょう。作品2がついているこの「8つの交響曲」のうち7曲は3楽章。一つは2楽章と、明らかにまだ交響曲が序曲としての位置づけだった時代の作品達です。モーツァルトハイドンは、こういった作品を聴いて自ら「交響曲」というジャンルを磨いていったと言っていいでしょう。そしてその実を受け取り、さらに品種改良して芸術の高みへと昇らせたのがベートーヴェンです。

それぞれオードだったり、まさに何かの序曲として位置付けであるものばかり。ほとんどは「国王の音楽師範」になる前の作品ですが、とはいえ、なぜ音楽師範という役職に就くことになったのかの一端を想像できる作品達ではあります。

演奏するのは、その英国のオケであるエンシェント室内管弦楽団。指揮はその創設者、クリストファー・ホグウッド。主にバロック時代を基準とした古楽オケだとぴったりな作品だと言えます。作曲者の役職に関わらず、祝祭感があるものはきらびやかかつ壮麗に演奏しますが、そんな中にも生き生きとした部分があったりと、実に繊細かつ大胆。聴いていて即ノレる演奏でもあります。こういうのいいなあ。

もちろん、私は基本的にはベートーヴェン以降の交響曲が好きな人ですが、こういうもっと肩の凝らないような交響曲も素晴らしいと思っています。人間なんて本当に裏をはがせばいろんな部分がある生き物ですから、いろんな作品があってもいいんです。その時に応じて、ベートーヴェンやボイス、ハイドンモーツァルト、あるいは前期ロマン派、そして後期ロマン派と聴く作品を変えていく・・・・・そのほうがいろいろあって楽しくはないでしょうか。

まさに、1930年代から続く「ボイス復興運動」の延長線上にあるこの演奏、実に肩が凝らずいいなあと思います。決してここで出ている3楽章制は自由というキーワードにはなっていないと思いますが、もしかすると・・・・・という考えはわたしの中にあります。欧州の市民革命はあまりにも偏向して我が国に入ってきていることもあり、批判する勢力もまた、偏向していることが多いので・・・・・要注意だと思っています。

 


ウィリアム・ボイス作曲
8つの交響曲 作品2
交響曲第1番変ロ長調(1756年、新年のためのオード「万歳、めでたき日よ」)
交響曲第2番イ短調(1756年、国王ジョージ2世の誕生の日のためのオード「シーザー誕生の日に」)
交響曲第3番ハ長調(1749年、牧歌劇風オペラ「花の冠」)
交響曲第4番ヘ長調(1751年、牧歌風オペラ「羊飼いの運」)
交響曲第5番ニ長調(1739年、聖チェリーリアの祝日のためのオード「見よ、名高きアポロ」)
交響曲第6番ヘ長調(1742年、セレナータ「ソロモン」)
交響曲第7番変ロ長調(1740年、ピンダロス風オード「優しきリラよ、調べを始めよ」)
交響曲第8番ニ短調(1758年以前、ウースター序曲あるいは協奏曲ニ短調。ウースター三教区合同合唱祭のために)
クリストファー・ホグウッド指揮
エンシェント室内管弦楽団

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