かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館:~ピアノ音楽の改革者たち~20世紀アメリカ・ピアノ作品集~

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリである、20世紀アメリカのピアノ作品集を収録したアルバムをご紹介します。

そもそも、アメリカのクラシック音楽はそのほとんどが20世紀に入って成立したものであると言ってもいいくらいだと思います。そして地理的には距離があるとしても、日本よりはヨーロッパに近いこともあり、最新の流行を反映するのは早いような気がします。

ここに収録されている作品達の多くはセリー音楽などいわゆる私が「20世紀音楽」と定義する現代音楽が並んでいます。中には電子音楽とのセッションも。その一方で印象派の音楽も並んでおり、20世紀のアメリクラシック音楽の奔流を感じることができる一枚となっています。

作曲者数がかなり多いので、最後に曲名と作曲者を提示するだけにとどめ、あとは読者の方に検索していただくことにしたいと思うのですが、私が知らないアメリカ現代音楽作曲家たちがずらり。その中でもヘンリー・カウエルは主導的役割を果たした人だと言っていいでしょう。その弟子であるジョン・ケージもこのアルバムの中に名を連ね、ケージらしいオスティナートな作品が収録されています(バッカス祭)。

そう、ここにある作品を聴いてさらに驚くのは、これらアメリカの作曲家たちが注目したのは自国というよりはむしろアジアだった、という点です、最初の2曲は中国からのインスピレーションですし、ケージの音楽であるオスティナートはそもそも伊福部が得意としたもの。もちろん、ラヴェルの「ボレロ」のように機械的なものに生命を感じるというような延長線上にあることもありましょうが、ジョン・ケージ伊福部昭と同じ時代を生きた作曲家だったということは、念頭においていいと思います。

ja.wikipedia.org

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もちろん、自国を顧る動きもありますが、それはクラシック音楽の正統から外れるという意味で、実はアジアの音楽への興味と表裏一体をなすものです。アジアの音楽も立派な民俗(民族)音楽ですので。それは左寄りの人が主導的役割を果たしてくれたというのはわきに置いておいて(実は言いたいことの一つではあるのですがここでは割愛します)。

これら民族、あるいは民俗的な音楽がクラシック音楽に加わったことで、クラシック音楽の多様性はより増し、魅力的になっているとは言えるでしょう。その意味ではまさに、ここに収録されている作品の作曲者たちはまさに「改革者」であったと言えるでしょう。

そんな作品を、思う存分楽しんで弾いているのが、アラン・フェインバーグ。こんな20世紀音楽を弾くかと思えば、古典もしっかり弾いている人で、その守備範囲の広さと表現力に驚かされます。1曲目のグリッサンドの華麗さだけではなく、タッチの差による深い表現も魅力です。もう爽快感満載で、ともすれば不協和音で満ちているこのアルバムを聴いている時間があっという間に過ぎ去っていきます。

これぞプロ。嫌いかもしれないような和声でもしっかり聴かせる説得力。こんな魅力的なピアニストがいたのかと、刮目せざるを得ない状況です。いやあ、これぞ幸せな瞬間です。

 


聴いている音源
ピアノ音楽の改革者たち~20世紀アメリカ・ピアノ作品集~
①ア・ラ・シノワーズ作品39(レオ・オレンシテイン)
②チャイナ・ゲイツジョン・アダムズ
③様々なアクセントのピアノ練習曲(ルーズ・クロフォード・シーガー)
④エオリアン・ハープ(ヘンリー・カウエル)
⑤ピアノと電子音楽のためのシンクロニズム第6番(マリオ・ダヴィドフスキー)
⑥地上から見たタンゴ(ジョン・ハービソン)
⑦白い孔雀(チャールズ・T・グリフェス)
⑧時間稼ぎ(ミルトン・バビット)
歓喜(ヘンリー・カウエル)
⑩プレリュード(コンロン・ナンカロー)
⑪12・トゥ・タンゴ(ミルトン・バビット)
⑫遺跡(ヘンリー・カウエル)
バッカス祭(ジョン・ケージ
⑭練習曲第20番(チャールズ・アイヴズ)
⑮アクア・パオロの泉 作品7-3(チャールズ・T・グリフェス)
⑯セヴン(ラルフ・シャピー)
⑰ルビー・マイ・ディア(セロニウス・モンク)
アラン・フェインバーグ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。