東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、リヒテルのイタリア公演時のアルバムです。
リヒテルは様々な録音を残していますが、これはリヒテルの1962年イタリアツアーで演奏した曲を集めているわけですが、実はシューマンの曲ばかり集められています。このイタリアツアーでは様々な作曲家の作品が演奏されていますが、このアルバムではシューマンばかりとなっています。この時の様子はドイツ・グラモフォンとEMIとに録音されていますが、これはEMIの方となります。
集録されているのは、「蝶々」「ピアノ・ソナタ第2番」「ウィーンの謝肉祭の道化」の3曲です。これは渋い選曲だなあと思います。シューマンを取り上げるにしても、この3曲を取り上げるケースは少ないと思いますし、玄人好みでしょう。それを自信をもってコンサートピースに持ってくるリヒテルはやはりただモノではないですし個性的です。
「蝶々」は作品2というシューマン若い日の作品ですが、ロマン派の作品らしい文学との関連が強い作品です。「蝶々」と言うのは昆虫のことを言うのではなく、元になった小説「生意気ざかり」を書いたジャン・パウル・リヒターが自身の文学の中でロマン的な詩的理念の象徴として出て来るもので、「蝶々」を表現したと言うよりは作品の中に出て来る仮面舞踏会の様子を蝶々に見立てたその様子を表現したものと言えます。
ですので曲を聴いていても蝶々が飛んでいるというよりは、その様子が蝶々のように見えるその風景や内面性が前面に出ていると聴こえます。リヒテルも決して昆虫を表現しているわけではなく、情景や人間の内面に迫っているように思います。
第2曲目のピアノ・ソナタ第2番はシューマンらしくないと言われますがロマン派らしい作品とも言えます。この曲をリヒテルが選んだというのも興味深いです。かなりシューマンが悩みながらも完成させた苦労作とも言える作品です。ですが演奏を聞く限りでは、それほど霊感がないとも思えず、リヒテルは第2番をかなり評価したうえで、どこか自らの苦悩と重ね合わせているのかなとも思います。
最後の「ウィーンの謝肉祭の道化」は事実上のピアノ・ソナタとも言われます。確かにシューマン本人が最初は「ロマンティックな大ソナタ」と名付けようとしていたそうです。ある意味第2曲目との対比で持ってきたのかなとも思います。リヒテルの演奏はこの曲でもダイナミックかつ繊細で、手を抜く素振りがありません。
シューマンのピアノ曲はベートーヴェンの時代に比べるとテーマが多彩で、まさに「ロマン派」という音楽運動に相応しいと言えます。リヒテルの演奏は勿論、このプログラミングを見ても、ロマン派という音楽運動に対する共感を感じます。そのうえで、聴衆に「ロマン派という音楽運動とは何か」と問いかけるものでもあるように思います。そう考えると、シューマンの曲ばかりならべるということ自体にも意味があるように私には思えます。シューマンと言えばロマン派を代表する作曲家であり、ロマン派という音楽運動の方向性を決定づけた作曲家とも言えます。そのシューマンという作曲家、ひいてはロマン派という音楽運動を聴衆に考えさせるプログラムは魅力的です。リヒテルと言えばその演奏のすばらしさが語られることが多いですが、こういった曲目もまた、演奏家の個性が現れるものだなあと改めて考えさせられます。私もアマチュアオーケストラのコンサートをその演奏レベルだけでなく曲目で判断することが多いのですが、ようやくクラシック音楽という芸術が何たるかを理解できる年齢になってきたのかなとも思います。願わくばそういう経験をもっと若い時期にできると良かったなあと思いますが、まあそれはもうしょうがないでしょう。少なくとも若い人たちにはもっとそういう経験をしてほしいと願っています。そうなると人生はもっと豊かになります。
景気が悪くなかなか若い人もそういう経験がしずらい状況ですが、今あるものをうまく使って豊かさを実感できる仕組みがあるといいと思いますし、その一つの手段が図書館であってほしいと願っています。小金井市立図書館や府中市立図書館のライブラリはその一翼を担っていると言えましょう。できればさらなる充実を願います。
聴いている音源
ロベルト・シューマン作曲
パピヨン(蝶々)作品2
ピアノ・ソナタ第2番ト短調作品22
ウィーンの謝肉祭の道化 作品26
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
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