かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:ブロムシュテットが振るシベリウス交響曲全集3

東京の図書館から、シリーズで小金井市立図書館のライブラリである、ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団の演奏によるシベリウス交響曲全集をとりあげていますが、今回はその第3集を取り上げます。

第3集には、第3番と第6番が収録されています。ブロムシュテットの指揮ではずれを経験したことがないのですが、このシベリウスでも同様で、特に第3番の生きのよさは絶品です。

第3番に関しては多分どの演奏を聞いたとしてもあまりはずれはないとは思いますが、聴いていてワクワクするのはこれだけのような気がします。そのうえで、最終楽章での行きつ戻りつのような旋律のせめぎあい、そしてその最終としての讃歌。本当に素晴らしい!

第6番も、晩年のどこか達観した感じではなく、達観の中にある「生命」というものにフォーカスして、同様に生き生きとした演奏。ブロムシュテットの譜読みはどんな作曲家でも常に「生命力」をいかに引き出すかであるかのようにすら思えてきます。

シベリウスという作曲家は、ある意味「生きづらさ」で悩んでいた作曲家だと言えます。若いころは自分の祖国のおかれた状況、そして現代的に言えば明らかな「アルコール依存症」患者としての行動。そこからいかに回復するかがシベリウスの人生において、そして創作するにおいて非常に重要なファクターとなっていくわけですが、まさに現代もアルコール依存症者が回復していくその過程にそっくりな行動をとっていることに驚かされます。

その視点から言えば、まさに第3番は「回復の過程」を表現した作品だと言えるかと思います。臨床心理、特に依存症からの回復という視点から言えば、それはらせん状だと言われています。第3楽章はまさにそのらせん状の回復であると以前述べたことがありますが、それは私自身の対人援助の仕事の経験からいずる解釈です。シベリウスアルコール依存症者であれば、当然その回復はらせん状であるから、です。そして、シベリウスにとって、創作とは現代で言えば依存症者がミーティングで自分の経験を話したり、カウンセリングで棚卸をしたりすることと同意です。

クラシックの作曲家たちは総じて同じだと言えると私は思っていますが、特にシベリウスはその傾向が強く感じられます。ブロムシュテットという指揮者はそういう視点があるのだろうかと思ってしまいます。こればかりはインタヴューしてみないとわかりませんが・・・・・いろんな方がインタビューしていますが、「依存症からの回復」という視点でした人を見たことがないので。

特に、この第3番と第6番はその構造からして、隠されたメッセージが「自由」でもあるだけに、余計私は感じます。三楽章形式である第3番。通常の第3楽章と第4楽章をひとまとめにしたと言われ、それは後年1楽章形式へとつながっていくのは確かでしょうが、果たして単純にそういう経緯だと言っていいのでしょうか?むしろシベリウスがもし第8番を作曲していたとしたならば、それは本当に単一楽章になっていたんだろうかという気が私はしてなりません。

単一楽章という手法まで手に入れたとしたら、創作をするとして、様々な材料を手に入れたとは言えないでしょうか?ですがその代わり、交響曲が単一楽章となってしまえば、それはともすれば交響詩と何ら変わりなくもなります。仮にシベリウスがその違いをどうつけるのかで、再び生きづらさを抱えていたとすれば・・・・・晩年の創作からの引退は、当然だったともいえるように思います。依存症というのは、スライド、つまりほかのものへと依存の対象が変わって行くものであるから、です。アルコールからいつしかワーカホリックに自分が変わっていることに気付き始めたとしたら・・・・・そこから離れることが唯一の回復への道です。であれば、引退、ということも当然あることです。

長寿したシベリウスであれば、交響曲はあと2つは書けたことでしょう。しかし、第7番で筆をおいています。その事実を最大限譜読みから生命力として引き出す材料として、ブロムシュテットは使っているように、私には強く感じられるのです。

 


聴いている音源
ジャン・シベリウス作曲
交響曲第3番ハ長調作品52
交響曲第6番ニ短調作品104
ヘルベルト・ブロムシュテット指揮
サンフランシスコ交響楽団

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