かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ワルター指揮コロンビア交響楽団によるベートーヴェンの交響曲全集6

東京の図書館から、シリーズで府中市立図書館のライブラリである、ワルター指揮コロンビア交響楽団によるベートーヴェン交響曲全集をとりあげていますが、今回はその第6集をとりあげます。

最後の第6集には、第9番が収録されています。全体としては、私の好みだなあという感じです。どっしり感はありますが、全体として生命力ある演奏は、作品が持つ内面性をよく表現しているように思います。

いつも私が取り上げる第4楽章vor Gott!の部分も特に変態演奏ではないですし、オーソドックス。なのに湧き上がる生命讃歌。やはりワルターは素晴らしいですね。

現代社会において、第九という作品を演奏することは非常に意味のあることであるのと同時に、しんどいことでもあると思います。経済の長期停滞が予想される中、オーケストラを維持することも困難が予想され、いくつかの団体は解散に追い込まれるかもしれません。仮にそうなったとき、どのように第九を演奏するのか。残された団体だけの特権なのか、です。

そんな特権などどこにもあろうはずがありません。実は今年、Prject Bというアマチュアオーケストラを聴きに行く予定でいました。そのオケが今年演奏する予定だったのが、第九です。これも通常は寄せ集めであるようで・・・・・

https://projectb.blog.ss-blog.jp/archive/c2304457161-1

こういったオケは、おそらくこのワルター指揮コロンビア交響楽団を念頭に置いているのではないか、という気がするのです。寄せ集めでも、その一人一人の技量と情熱が勝れば、いい演奏ができると信じる力・・・・・ぜひとも聴いてみたかった演奏会ですが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、来年5月に延期となったのでした・・・・・

とても残念ですが、アマチュアのこういう動きはプロオケを先んじている点もあります(実際、ネット配信もプロと若干早く配信したのはアマチュアオケでした)。おそらく、今度このような「ほかの仕事を今はしているけれども実は元プロ」が集まって演奏会をするということが、当たり前になるかもしれません。そんなときは、ぜひとも私は演奏会へ聴衆としてはせ参じたいと思いますし、また第九をやるなら合唱団として参加したい!とも思います。

常設でないといい演奏はできない・・・・・本当でしょうか?確かに常設は安定して練習ができますし、経済的にも安定するので優秀な人材を確保できるでしょう。それは認めます。けれども、その常設が今後どれだけ可能なのか?ということも言えるのです。そのために、私たちはどれだけ金を出すことができるでしょうか?結構日フィルあたりを非難する人もクラシックファンの中で多いという状況において、果たしてどれだけ可能なのでしょうか?政府がどれだけ金出してくれますか?

この半年間で、そんなことはないとわかったはずではないのでしょうか。ならば、いざオケが解散となったとき、その人材をどれだけほかの業界が吸収し、仕事があるということで補完し、アマチュアとしての活動を支援するかも、大切な要因だと思うのです。そこからもう一度、プロオケ結成をどれだけ支援できるかがカギだと思っています。

このワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏は、その意味で非常に現代的な問題を提起している演奏だと思います。合唱団が一応聖歌隊なのですが、ベートーヴェンのこの交響曲を単なる交響曲とだけとらえるのではなく、一種のカンタータであるという解釈なのかな、という気もします。まさに全体的に歌っている演奏は、ステレオ初期とは言え、文字通りワルターの芸術を残すことに成功した一例ではないかと思います。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
エミリア・クンダリ(ソプラノ)
ネル・ランキン(メッゾ・ソプラノ)
アルベルト・ダ・コスタ(テノール
ウィリアム・ウィルダーマン(バリトン
ウェストミンスター交響聖歌隊(合唱指揮:ワーレン・マーティン)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。