かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:アシュケナージが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集4

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをシリーズでご紹介しています。アシュケナージが弾くベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、今回は第4集を取り上げます。

あれ、第3集は?って、私がききたいです、それ。おそらく、第3集は棚に堕していないんだと思います。府中市立図書館はこういう資料が結構あるんですね。緊急事態宣言も解除されましたので、時期にこう「歯抜け」になっているものを借りて、コンプリート出来ればいいなあと思っています。

さて、その飛んで第4集ですが、第11番から第13番の3曲が収録されています。明らかにこの収録はレコードで出たものをそのまま踏襲しています。第13番は作品27-1。つまり、作品27は複数あるってことですが、それがその1だけになっているのは、レコードがそもそも最初のメディアだったことを意味します。これがCDが最初であればまた変わってくるんですけどね。

この第4集でも、第11番の第4楽章とか、思い切り快速で、ちょっとどこまで行くの!って感じですが、かといって第13番ではテンポダウン。どっしりかつ重厚に弾いています。

その意味では、アシュケナージはちょっとうがった解釈をベートーヴェンではしているような気がします。快活なものにはまるでベートーヴェンに魂がないかの如く弾いているんです。本気でそのようにアシュケナージが思っていたのか、それとも違うのか・・・・・アシュケナージも祖国ソ連で散々苦しい目に遭っていますから、屈折していても何らおかしくはないですが・・・・・うーん、なるほどねえ、って感じです。

少なくとも、この第4集では「屈折したアシュケナージ」を見ることができるのかな、と思います。どこか、明るいベートーヴェンに共感しきっていないような気がするのは私だけなんでしょうか。かといって、短調をいい加減に弾いているものは一つもないんですよね。となると、この第4集にはかなり屈折した解釈が反映されているとしか、私には見えないんです。

でも、こういった演奏がひょいっとあるときに自分の苦しみを見つめて癒すときに武器となってくれたりもするから、いろんな演奏に触れることはいいことなんですよねえ。最近つくづく思います。考えてみれば人間は単純な様で複雑で、複雑な様で単純な、一筋縄ではいかない社会性のある動物。ならば、このような屈折性のある演奏も当然アリだろう、と思うわけなのですが、まだまだこのパッセージは・・・・・とか言ってしまう私は、修行が足らないかもしれません。

 


聴いている音源
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲
ピアノ・ソナタ第11番変ロ長調作品22「大ソナタ
ピアノ・ソナタ第12番変イ長調作品26「葬送行進曲」
ピアノ・ソナタ第13番変ホ長調作品27-1
ウラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)

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