かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:フランク オラトリオ「至福」

東京の図書館から、今回は府中市立図書館のライブラリをご紹介します。今回はフランクのオラトリオ「至福」を収録したアルバムをご紹介します。

フランクはヨーロッパではかなり有名でポピュラーな作曲家ですが、日本ではいまいちって感じがします。交響曲は知られているけれども・・・・・って感じです。けれども、実に多彩な作品を残し、しかも影響も残した作曲家だといえます。

そんなフランクのオラトリオ「至福」。そもそも題材になっているのは、バッハの「マタイ受難曲」同様、マタイ福音書なのです。

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ですから日本人の私たちにはちょっと共感しがたい部分もある作品ではあると思いますが、一つ一つの章を見てみるとそうでもないなあと私は思います。むしろブラームスの「ドイツ・レクイエム」と似たような楽章が並んでおり、ドイツ・レクイエムが好きな人なら意外と共感する作品なのではないでしょうか。

評価する人がいる一方、この作品はドビュッシーにはけちょんけちょんにけなされます。それは当然、当時「フランキスト」とはドビュッシーの音楽とは相反する作品を書く、フランクとその弟子たちのことを指したのですから。

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けれども私は、そんな相反とは自由でいたいと思います。どちらの音楽も素晴らしいもの。その果実を感謝していただこうと思います。このアルバムは2枚組になっていて、そのため今回はその2枚を聴いたうえで一つとしてエントリを立てています。

確かに、ドビュッシーが言う通り、どこを切っても美しい音楽が流れています。けれどもその「美しさ」も一つのメッセージになっているのですね。もっと言えば、フランクとドビュッシーではその「美しさ」の基準が異なるわけなんです。フランクはあくまでも伝統的な和声で作品を彩っていますが、ドビュッシーはそれでは飽き足らず、自ら新しい和声を試して行ったわけです。その「守旧」なのか「パイオニア」なのかで、評価が異なるのはちょっと悲しい気がします。

このオラトリオにも十分迫真的な部分や緊張する部分もあり、かなり劇的です。それはロマン派音楽の特色であるわけです。後期ロマン派が大好きな日本人が、ドビュッシーという大家が批判しただけでフランクを聴かないというのは、如何にも己というものがない日本人らしい拒絶の仕方だと思います。

そんなオラトリオをです、バッハ演奏では定評があるリリンクが振ったのが、この演奏です。オケもシュツットガルト放送交響楽団、そして合唱はバッハのマタイ受難曲でおなじみのゲッヒンゲン聖歌隊。ドイツの団体、指揮者が、フランスものに取り組んだら、一体どうなるのかという、素晴らしい典型ですが、一方でフランクの音楽はその基礎にオランダの教育が入っていると私は思っています。そのうえでフランスの教育でまとめられている・・・・・となると、ドイツの団体が演奏することはむしろ理想的なのではないかという気がします。

特にこの演奏で素晴らしいのが、ゲッヒンゲン聖歌隊。力強いけれどもしなやかな発声は、単に強烈な場面を表現するだけでなく、その聖書の世界という、壮大な物語を語るにふさわしい広大さと壮麗さを持っています。こういった演奏はフランクの作品が単に美しいというだけではなく、じつはその根っこにはしっかりとした精神が張っているということを気が付かせてくれます。こういった演奏こそ、真にプロの仕事だなあと思います。

 


聴いている音源
セザール・フランク作曲
オラトリオ「至福」
ダイアナ・モンタギュー(メゾ・ソプラノ)
キース・ルイス(テノール
ジル・カシュメイユ(バリトン、キリスト)
ジョン・チーク(バス・サタン)
コルネリア・カリッシュ(アルト)
インゲボルグ・ダンツ(メゾ・ソプラノ)
スコット・ヴァイア(テノール
ジュアン・ヴァイグレ(バス)
ラインハルト・ハーゲン(バス)
ゲッヒンゲン聖歌隊
ヘルムート・リリンク指揮
シュトゥットガルト放送交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方、そして新型コロナウイルス蔓延の最前線にいらっしゃる医療関係者全ての方に、感謝申し上げます。