かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:悲しみの森 池辺晋一郎作品集

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回は池辺晋一郎の交響的作品集を収録したアルバムをご紹介します。

池辺晋一郎と言えば、N響アワーにおける「偉大なるダジャレ」で有名かと思いますが、そもそも本業は作曲家です。あのダジャレはその作曲家としての知識から出ているわけですが、そのダジャレだけがクローズアップされている感も否めません(逆に言えば、それだけインパクトが強い素晴らしいダジャレであるわけで)。

ja.wikipedia.org

その池辺氏の作品に触れる機会がついに訪れた、というわけです。いや、そもそも図書館の棚にあって、私が借りるのを待っていただけですけれどね。

どうしても、私自身あのアーティスティックなんだけど灰汁の強いダジャレの印象が強かったので、そんな池辺氏が書く作品とは何ぞや?とは思っていたわけなのです。で、聴いてみますと・・・・・え?フツーの20世紀音楽、だよね?

そう、フツーのとは言いましたが、がちがちの20世紀音楽です。むしろ無調のほうに近い作品たちがずらり。いやあ、バッターボックスに立っているこちらに160キロのストレートを投げ込んで来たな!という感じです。となれば、こちらはダジャレ連発などと思わずに、しっかりとバットをコンパクトに振りぬかないと、外野へは抜けてくれないということを意味します。

まずは交響曲第4番。下記サイトには、池辺氏が夢で見ることを2つに分けて表現したように記載されていますが、確かに各楽章には関連性はなく、音が空間に漂っている感覚を受けます。

そして第7番「一滴の共感へ」は、原初があり、そこから何かが広がっていくさまが見て取れる作品となっています。

kukikei.sakura.ne.jp

それにしても、交響曲を存命で10作書いているということは、多作家ではありますがシンフォニストだとはいえるでしょう。しかし、まだ全集とかがないんですよねえ。この個性的な二つの作品を聴くだけでも興味深くつい耳を傾けてしまいます。ぜひともそろそろ交響曲全集とか日本のオケはやってもいいんじゃないかって思うんですけどね。CDが無理ならハイレゾネット配信という方法もあります。

そして3曲目の「悲しみの森-オーケストラのために」。1998年とかなり最近の作品で、オーケストラアンサンブル金沢から委嘱された作品で、環境破壊をテーマに書かれた作品です。時として暴力的な音楽になるのは、そういった自然破壊への池辺なりの怒りが込められているといえるでしょう。

www.oekfan.com

池辺さん、ほんとにお人が悪い。自分の作品がかすむようなダジャレをあまり言わないほうがいいと思うのですが・・・・・まあ、もう番組は終わってしまっていますしね。けれどもおそらく、そんなくだらないことに引きずられることなく、音楽を聴いてくれというのが池辺氏のメッセージでしょうし、聴けば聴くほど、豪速球が投げ込まれてきます。では激しいのかって?そんなことはありません。激しさもありますがむしろ20世紀音楽の特徴である不協和音全開による不思議な世界が広がっています。しかしそこに極めてまじめな音楽が存在しているのです。だからこそ、私は野球に例えて「バットをコンパクトに振りぬかないとヒットにならない」と表現した、というわけなのです。

演奏するN響は、池辺作品は手馴れているのかなという印象を受けます。ともすれば表面的に弾いてしまいかねないオケですが、池辺氏の作品に関しては、実に誠実に向き合い、作品が持つ内面を存分に表現しているように思います。指揮が岩城氏と秋山氏ですから、それも当然なのかもしれませんが、指揮者と演奏者が作品に共感しているのがわかるんです。こういう演奏を聴きますと、安易な「N響叩き」というのは感心しないなあって思います。もちろん批判はすべきだと思いますが、叩くことはないだろうという気がするんです。むしろなぜN響以外が演奏しないんだという批判こそ、真の愛国者だと思うんですけどね・・・・・しませんね、右系の評論家は。そういう態度こそ、この国の文化発展を妨げていると、私は信じています。

 


聴いている音源
池辺晋一郎作曲
交響曲第4番
交響曲第7番「一滴の共感へ」
悲しみの森-オーケストラのために
岩城宏之指揮(交響曲第4番)
秋山和慶指揮(交響曲第7番・悲しみの森)
NHK交響楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。