かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:ブロッホ 管弦楽作品集

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はブロッホ管弦楽作品集を取り上げます。

ブロッホって誰?って思いますよね。スイス出身でアメリカで活躍した作曲家・教育者です。

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ウィキではアメリ新古典主義音楽云々とありますが、あくまでもそれは「門人たち」であり、ご本人ではありません。とはいえ、ブロッホ自身も新古典主義音楽の作曲家だといえるでしょう。けれどもそれはアメリカではありません。民族の旋律を使うというのが新古典主義音楽だと定義づけられるのであれば、それはユダヤ民族です。

ウィキでもありますが、彼はユダヤ人です。ですから、ユダヤ民族の旋律を使った新古典主義音楽の芸術家だったわけです。だからこそ、門人も新古典主義音楽の関係になるわけで、かつそれがアメリカでの門人であればむしろ門人たちが紡ぎだすのはアメリ新古典主義音楽というものになります。

このアルバムに収録されている作品たちも、聴きますとその和声に驚くはずです。どことなく東洋的というか、インディアンすら想起させるような和声・・・・・しかし、それがユダヤ的なわけで、むしろそこにはハリウッド映画の音楽を聴いてきた影響があるんだと、私に気が付かせてくれます。インディアンのようだと思ったのがユダヤなのだとすれば、映画音楽の中のそういった旋律は、比喩なのかもしれない、とか・・・・・

もともと、このアルバムを借りてきたのは本当に「聴きなれない名前だけど、どんなの?」というノリです。そして聴いてみれば、多分に民俗的な旋律と和声満載。そして歌うヴァイオリン!私の魂を射抜いてきます。うわお!

第1曲目のヴァイオリン協奏曲は1938年の作品。様式的には古典的なのですが、その旋律を聴けば、非常に民俗的なのがわかる作品です。これぞ新古典主義音楽ど真ん中!2曲目の「バール・シェム」はユダヤ教をテーマにした作品。キリスト教の社会の中においてひたすら抑圧され差別され続けてきたユダヤ教とその教徒たち。その精神を反映させた民族的音楽なのです。ブロッホの「所属意識」がどこにあるのかが明確であるように思います。

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そして最後は、がらりと雰囲気が変わって指揮者でもあるセレブリエール作曲の「ポエマ・エレジア(エレジー風の詩曲)」と「モメント・ブシコロジーコ心理的瞬間)」の2曲。ウルグアイの民族色色濃い作品達もまた、雰囲気としてはブロッホの作品同様、ヨーロッパとは違った雰囲気と色彩を持ちます。

ヴァイオリンはグートマン。本当によく歌うヴァイオリンなのです。甘く切なく、どこかさみし気なのに、膨大なエネルギーがあるという・・・・・どこにそんなエネルギーがあるのか?というくらいに情熱的です。それが本当に適度に酔わせてくれます。正直私には酒など要りません。こういった素敵な音楽があれば十分酔えます。

そして、指揮するは最後の2曲の作曲者でもあるセレブリエール。グラズノフ交響曲で見事なタクトを見せたセレブリエールが今度は一転、ユダヤ色色濃いブロッホを振っても見事に作品が持つ内面を抉り出し、その精神を存分に伝えてくれます。オケはロイヤル・フィル。こういったビッグネームがブロッホやセレブリエールの作品を演奏すれば、見事な「歌」になることを演奏で証明しています。後期ロマン派だけを称賛してあとは排除するという日本の聴衆の姿勢が大友氏が言う「オタク的行動」なのであれば、このアルバムは十分その批判にこたえる内容を持つといえるでしょう。果たして日本のオケがどれだけ、オタク的な発想から抜け出ることができるのか・・・・・奮起を期待したいと思います。

 


聴いている音源
エルネスト・ブロッホ作曲
ヴァイオリン協奏曲
組曲「バール・シェム」(ハシディ教徒の生活の三つの姿)
ホセ・セレブリエール作曲
ポエマ・エレジア(エレジー風の詩曲)
モメント・ブシコロジーコ心理的瞬間)
ミシェル・グートマン(ヴァイオリン)
ホセ・セレブリエール指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。