かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:プロコフィエフ作品集

東京の図書館から、今回は小金井市立図書館のライブラリである、プロコフィエフの「冬のかがり火」などを収録したアルバムをご紹介します。

旧ソ連の芸術に対する「嵐」の洗礼を受けたのは何もショスタコーヴィチだけではなくプロコフィエフもでした。特にプロコフィエフの場合、ソ連外へ出ていることも多かったこともあり、新しい波とソ連での扱われ方のはざまで苦労した人でした。

ここに収録されている作品群はほとんどそういった嵐の時代に作曲されたもので、嵐の時代以外のものは「みにくいあひるの子」と「古典交響曲」ではないでしょうか。ある意味、嵐の時代のものがサンドウィッチになっています。

第1曲目のその「みにくいあひるの子」は1914年の作品。和声もさることながら、終わりも突然というかんじで、モダニズム全開です。

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第2曲目「夏の一日」はもともとは「子供ための音楽」というピアノ曲から7曲をオーケストレーションして組曲にしたものです。1940年という、嵐の時代に平易な音楽をということで書かれた作品ですが、そうはいってもドラマティック。

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第3曲目の交響的スケッチ「秋」は季節は全く関係ないそうなんですが、それでもどこか秋の豊潤な色彩が想起される作品です。

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第4曲目の「冬のかがり火」。まさにプロコフィエフがジダーノフ批判に晒されていた時に名誉回復のために書かれた作品です。第5楽章の「ピオネールの集い」はまさに少年団を描いて見せており、その点ではショスタコーヴィチの「森の歌」をほうふつとさせます。

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最後の古典交響曲はもう有名なので省きますが、とにかくプロコフィエフ作品集として、非常にヴォリュームのあるものになっていることは確かで、オペラやバレエだけではないプロコフィエフ作品の魅力に満ちています。

タクトを振るは自身も作曲家であるセレブリエール。オーケストラはスコットランド室内管。存分にオケを歌わせる演奏はセレブリエールらしいなあと思います。モダニズム的作品であっても、どこか人間臭さが感じられるのがこの演奏の特徴。え、プロコフィエフってこんなに人間的な作品書いているのか?と驚きを感じるかもしれません。

近代オーケストレーションとはいかなる方向を向いていたのか・・・・・その一片を自然と演奏で述べ上げているこの演奏は実に上質。さすがはセレブリエールだと脱帽します。

 


聴いている音源
セルゲイ・プロコフィエフ作曲
みにくいあひるの子 作品18(歌詞英訳:C.マカッリスター、C.ファーレイ)
子供の組曲「夏の一日」作品65bis
交響的スケッチ「秋」作品8(小管弦楽のための)
組曲「冬のかがり火」作品122
交響曲第1番ニ長調作品25「古典交響曲
キャロル・ファーレイ(ソプラノ)
ペイズリー寺院少年合唱団(合唱指揮:ジョージ・マックフィー)
ホセ・セレブリエール指揮
スコットランド室内管弦楽団

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