かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:アラウが弾くショパンノクターン集2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。2回シリーズのアラウが弾くショパンノクターン集、その第2集です。

第2集は後半の第12番から第21番までが収録されています。第20番は正確にはノクターンではないようですが、それでもアラウは見事に歌い上げます。

ピアノで「歌う」・・・・・これ、簡単な様で本当に難しいことだと思います。特にピアニストと話をすると、やはり叩けば音が出るから、という意見が多く寄せられます。それはそうですよね、ピアノという楽器は弦を叩く楽器ですから、鍵盤を叩けば音が出るんです。

しかし歌はそうはいきません。人間の声は息と声帯の震えによる物理現象があって初めて音が出ます。叩けば音が出るというのとは異なる複雑な仕組みです。いや、声帯を震わせるという意味では単純ですが・・・・・

確かに、単に音を出すという意味では、声を出せばいいだけとも言えます。けれども、その声を出すために、声帯は何度震えるのでしょう。また、いったんは息を吸わなくてはなりません。そういったプロセスを踏んで初めて人間が出す息は音になるのです。

そう、つまりは、ピアノは叩くというプロセスだけで音が出ますが、声はまず息を吸って吐く、という二つのプロセスを経ないと音にならないのです。だからこそピアノ演奏は時として力任せになります。それはそれでピアノ演奏の一つの魅力です。それが超絶技巧です。

しかし、ショパンは超絶技巧という道を選ばなかったのです。それはショパン自身の事情もありましたが、むしろ抒情的で歌う作品へと傾倒しました。

だからこそ、ショパンピアノ曲は私は歌ってほしいんです。ショパンは祖国ポーランドや移り住んだ父の祖国フランスなどで、様々な経験をして想いを持つわけで、その「想い」というものを大事に演奏してほしいなと常々思っているからです。

さすれば、自然と私は歌いだすのではないかという気がするんです。ショパンにどれだけ共感できるか、そこに自身を投影できるか、あるいは自分の歌として咀嚼できるか。そういった点がショパン演奏には大切ではないかという気がします。

アラウはベートーヴェンでも抒情的な演奏をしましたが、このショパンではもっと顕著ですし、第2集ではさらにヒートアップ。情熱的ともいえる演奏です。かといって超絶技巧ではなく、しっとりと歌い上げる。それがたまらく私の胸を締め付けます。苦しかったでしょ、フレデリック・・・・・

私の魂にはショパンへの共感が満ち溢れます。その媒介をしてくれるのがこのアラウの演奏です。もしかするとここはアラウも泣いているんじゃないかと感じる瞬間すらあります。演奏者と聴衆がともにショパンと対話し、共感する・・・・・そこに仲間がいるように思うのです。

ショパンが演奏したのはほとんどサロンという仲間が集まる場所です。貴族のサロンとは単に貴族が自分を良く見せようとするだけではなく、仲間と語らう場所を意味します。ですから後期ロマン派~印象派の時代には、市民のサロンもできるわけです。ショパンがサロンを好んだのは、健康のせいだけではなく、そこに仲間がいたからと言えるでしょう。

アラウが弾くショパンノクターンは、そんなショパンの仲間たちの語らいや機微が見えてくるようです・・・・・

 


聴いている音源
フレデリック・ショパン作曲
第12番ト長調作品37-2
第13番ハ短調作品48-1
第14番嬰ヘ短調作品48-2
第15番ヘ短調作品55-1
第16番変ホ長調作品55-2
第17番ロ長調作品62-1
第18番ホ長調作品62-2
第19番ホ短調作品72-1
第20番嬰ハ短調 遺作
第21番ハ短調 遺作
クラウディオ・アラウ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。