かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~府中市立図書館~:デニソフ 交響曲

東京の図書館から、府中市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はデニソフの交響曲第1番を収録したアルバムをご紹介します。

まあ、神奈川県立図書館並みにライブラリがあるので、有名曲だけではなく珍曲も当然あるわけなんですが・・・・・

このデニソフ、そもそもは旧ソ連の作曲家です。ショスタコとは違い自分の音楽を追求するため、最終的には西側に亡命した人です。そもそも親があの天才発明家の苗字を自分の息子の名前に付けるくらいですから、おそらく相当のリベラルだったんだと思います。

ja.wikipedia.org

ソ連と言えば、社会主義リアリズムが良くも悪くも取り上げられますが、デニソフの音楽には皆無です。ひたすら不協和音が鳴り響き、旋律がはっきりした音楽が好きな人には我慢できないくらいでしょう。この交響曲第1番もそんな作品です。

ただ、不思議なのは、この演奏、バレンボイム指揮パリ管でして、どことなくメッセージが伝わってくるというか、人間の叫びだったり慟哭だったりが伝わってくるんです。それは旋律線を存分に歌わないと難しい話のはずが、それほど歌わなくても存分に伝わってくるのが不思議なのです。

多分、それはデニソフが残した語録に鍵がありそうです。上記ウィキにはいくつか載っていますので是非いくつか参考にされるといいかと思います。私が目を引いたのは以下のものです。

「拙作で主要な要素となるのは、美しさです。つまり、響きが美しいだけでは整った形式にはなりませんので、ここで言う美しさとは、数学者が、あるいはバッハやウェーベルンが理解していたような意味での美しい着想ということです。」
「“学究的な”音楽は厭です。音楽は生きていなければ。知った風なのは駄目です。」

多分、端的に言えば、「音楽には生命が宿っていないと」ということだと、私は解釈しています。おそらくバレンボイムとパリ管も同じ解釈なんじゃないかって思います。この解釈の軸がはっきりしていることが、ともすれば生命力がないかと思われる非人間的な和声に生命が宿り、そこに魂が込められ、物語が始まるのでしょう。こういった表現力はさすがパリ管だなあと脱帽します。

そして、その表現力を引き出すバレンボイムのタクトの確かさです。ピアニストとしても素晴らしいですがバレンボイムって人は自分がピアニストなのにオケには歌わせるんですよ。このデニソフでもできうる限りパリ管を歌わせます。だからこそともすればいやだなあと思うような和声もストン!と腑に落ちるんです。それは人間的魅力なのでしょうかね~。

こういった曲はぜひとも日本でもプログラムに載せて欲しいなって思います。

 


聴いている音源
エディソン・デニソフ作曲
交響曲
ダニエル・バレンボイム指揮
パリ管弦楽団

※録音された1988年当時、まだこの一つしか交響曲を作曲していなかったため、「第1番」という表記になっていません。ですのでCDの記載そのままを載せています。

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