かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:日本古代歌謡の世界3

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズでご紹介している日本古代歌謡の世界、その第3集を取り上げます。

基本、日本の古代歌謡と言えば、国風歌舞のための歌なのです。それが皇室の関係になれば雅楽ということになります。けれどもそれは古代歌謡の一つに過ぎないわけです。

そういった点を、このアルバムは指摘しているんだと思います。この第3集では皇室はもとより各地の神社でも演奏される東遊と久米歌が取り上げられています。旋律などはあまり雅楽と変わらない部分が多いのですが、そのことがむしろ、雅楽とは何かを私たちに理解させるに十分な内容を持っていると言えるでしょう。

もちろん、その「配電盤」になったのは皇室行事であったことでしょう。その意味で皇室は日本文化の中心であったといえましょう。けれども配電盤が配電盤であり続けるためには、すそ野が広がっていかないとダメなわけで、そのすそ野がこういった国風歌舞なのです。

やがてそれは各地の「民謡」の成立へとつながっていきます。そこにはすっかり皇室の陰などないですが、神社で奏される風習無くして民謡は成立しないと私は考えます。もちろん口伝されるものはあるでしょうが・・・・・しっかりとした文化として受け継がれていくとなると、それなりの基礎が必要だと思います。それが国風歌舞だったといえます。

しかも、この国風歌舞のうち、ここに収録されている東遊は、古代日本における東国、つまり東海~関東にかけての民謡が朝廷に伝わり、整えられてまた地方へと伝播していったという作品です。久米歌は朝廷の武官であった久米部の人たちによって舞われたものが雅楽へと取り入れられたものです。

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そう、クラシックで言えば19世紀に勃興した民謡採集運動が、すでに日本では奈良~平安時代にかけて行われていた、ということなのです。こういったことをなぜか日本万歳とか言っている昨今のメディアも伝えないのは本当に悲しいことです。何もそこまで持ち上げなくても、雅楽の事例を出せばそれなりに誇りって持てるはずだと思うのですが・・・・・おかしなことです。

そんな風潮から一線を引こうとしているかのように、演奏は聴こえます。気品を保ちつつも、どこかに素朴さを失わないように努める様子が伝わってきます。それはすなわち、この二つの作品が皇室のものだけではないという東京楽所に集うソリストたちの意識の集合となっているかのようです。そういった「境界線」が引けている演奏、私は好きです。

 


聴いている音源
東遊一具
久米歌一具
音取(ねとり)
 参入音声(まいりおんじょう)
 歌(うた)
東京楽所

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。