かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

東京の図書館から~小金井市立図書館~:日本古代歌謡の世界2

東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。シリーズでご紹介している「日本古代歌謡の世界」の第2集を取り上げます。

この第2集では、御神楽の主に中役(神遊び)と後役(神送り)に使われる曲が収録されています。1曲目の「千歳(せんざい)」から3曲目「早歌揚拍子(はやうたあげびょうし:神楽歌)」が中役、それ以降が後役となります。

www2.ntj.jac.go.jp

特に舞楽を伴う最後の「其駒三度拍子(そのこまさんどびょうし)」と「其駒揚拍子(そのこまあげびょうし)」、そしてその前段である「吉々利々(ききりり)」は息をのむもので、演奏する東京楽所も、感情がこもった演奏になっています。

雅楽と言えばどうしても宮中の音楽でもあるので形式的な部分はあるのですが、この演奏ではそんな形式美よりも、内面性が重視されているように聴こえます。つまり、神に対する人間の気持ちという部分がフォーカスされているように思うのです。

これは宮内庁というサラリーマンを離れ、自立した音楽家として歩んでいる東京楽所のメンバーたちの想いでもあるのかなと、私は受け取りました。演奏するひとり一人が持つ神に対する想いが、総体として演奏に表れていると感じるからです。

そもそも、雅楽の中でも神楽とは、「神と遊ぶ」という意味を持ちます。これはキリスト教のような一神教が持つ絶対性とは少し離れたものです。神と遊ぶなんてとんでもない!と一神教はなるものですが、少なくとも神楽においては神と遊ぶのです、人間が。その意味ではむしろ神道とはギリシャ神話に近い宗教である、と言えるでしょう。

けれども実際は、現在の日本では国家神道の色合いがなかなか抜けないのが実情です。東京楽所に集いしメンバーたちはそんな雅楽の現状を打破しようという意思を持っているように、演奏からは聴こえるのです。むしろ神道を信じる一人一人が、形式美の中にはあるけれどもそこに生命を宿そうとしている・・・・・そもそも、神と人間が遊ぶための音楽だから、です。

特に、ユニゾンする部分ではそのアンサンブルの統一性よりも、一人一人の精神の発露が結果として一つのエネルギーになるように演奏されているんです。これはきいていて息をのむ瞬間でした。なかなかクラシック音楽の演奏でこれが実現されることは少なく、本当に名演と言われるものの中でもごく一部だけだったりするんです。それを雅楽という形式美の中でやってしまう・・・・・これはものすごい才能、実力だと思います。

こういったことは素直に評価することが、この国の極端な右傾化を防ぐ一つの方策なのかもしれません。

 


聴いている音源
日本古代歌謡の世界2
①千歳(せんざい:神楽歌)
②早歌閑拍子(はやうたしずびょうし:神楽歌)
③早歌揚拍子(はやうたあげびょうし:神楽歌)
④於介(おけ:神楽歌)
⑤星音取(ほしのねとり:神楽歌)
⑥吉々利々(ききりり:神楽歌)
⑦朝倉音取(あさくらのねとり:神楽歌)
⑧朝倉(あさくら:神楽歌)
⑨其駒三度拍子(そのこまさんどびょうし:神楽歌)
⑩其駒揚拍子(そのこまあげびょうし:神楽歌)
東京楽所

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。