かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:マタチッチ 対決の交響曲


神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、今回はマタチッチの「対決の交響曲」を取り上げます。

マタチッチ?あの指揮者の?その通りです、あの、N響も振った指揮者です。そのマタチッチの自作自演なんです。元音源はDENON。ではチェコフィルとかなのかと言えばそうではなくて、なんとN響なのです。

知る人ぞ知るこの音源、今は廃盤になっているそうですが、図書館だからこそあった音源だといえるでしょう。

さて、この「対決の交響曲」。マタチッチが二つの大戦や体制変更などを経験してきたことがベースになっているようです。4つの楽章は表題にもなっていて、見方によれば第3楽章と第4楽章は一つとの説もあります。

ja.wikipedia.org

ネットで検索しますと賛否両論。そりゃあ、十二音階などを使っていればそれも当然の話だろうと思います。さらにショスタコと比べて駄作とするものもありますが、それには私は異を唱えます。この作品は計算しつくされているがゆえに、一見つまらなく見えるのです。

よく聴きますと、第1楽章から第4楽章は一つの流れになっていることがわかります。旋律が見えないためにその点がわかりずらいんですね。その点ではある意味ザッツ・クラシック音楽ともいえると思います。ただ聞き流しているのでは、作品が持つメッセージは見えてこないと思います。

ただ、それは作曲者にだけ起因するものではなく、演奏するN響にも責任があるように思います。十二音階だから感情をこめなくてもいいというわけではなく、込めるべきところでは思いっきり込めるべきなのがこの作品だと思うのですが、そのあたりが今一つなんですね。それでもだいぶ込めているところは多く、作品を作曲者の指揮により演奏しているという相互作用は働いています。ただ、その咀嚼能力が・・・・・ってところです。

第3楽章と第4楽章が一つならば、この作品は4楽章制の仮面をかぶった3楽章制ということになり、隠されたキーワードは「自由」ということになります。ユーゴスラビアという国がたどった近代史を顧みたとき、なるほどこういう複雑な作品が出来上がるだろうなあって思います。

むしろ、いろんなキーワードや構造が見えてきてしまえさえすれば、60分ほどの演奏はあっという間に過ぎていきます。1980年代の技量のN響にしては本当に健闘している演奏ですし、マタチッチの熱のこもった解釈によくついて行っていると思います。それは長年の交友による対話、親交があってこそだと思いますが・・・・・

20世紀の音楽はまだまだしっかりとした評価が定まっていないと思っています。ショスタコだけがシンフォニストではないですしね。もう少し時間が経つと、変わってくるのかもしれません。

 

聴いている音源
ロヴロ・フォン・マタチッチ作曲
対決の交響曲(1979 Zagreb)
ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮
NHK交響楽団

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