東京の図書館から、小金井市立図書館のライブラリをご紹介しています。今回はハイドンのピアノ作品をハープで弾いたアルバムをご紹介します。
アルバム名は「ハイドンへのオマージュ」となっており、それだけ見るとほかの作曲家のハイドン・リスペクトなのかって思ってしまいますが、それは最後のグランジャニーの作品だけ。あとは純然たるハイドンの作品がずらりと並んでいます。
けれども、それらの作品はすべてクラヴィーア、つまりピアノのためのもの。二つの協奏曲はもともとはチェンバロ協奏曲と伝えられているもので、ピアノでの演奏がなされる作品です。
後の2つは、ピアノ独奏のもの。
そして、グランジャーニ。ウィキではグランジャニーとつづられていますが、言語のスペルからしますとどっちなんだろうって思います。
そんなグランジャーニの作品31。これはグランジャーニがそもそもハーピストなのでハープのための作品。けれどもほかの作品と違和感がないのが不思議です。
そもそも、ハイドンの4つの作品はチェンバロなどクラヴィーアのための作品なのに、ハープで全く違和感がないのも不思議です。完全古典派の作品なのに、バロック的な要素も併せ持つというべきでしょうか。まあ、そもそもハイドンってピアノ曲そう多くはないんです。それでも真作が6曲はあるというのも驚きですけどね。
つまりはです、そもそもハイドンはハープのための作品を、ピアノよりも書いていないんです。そのピアノのための作品を、ハープで演奏してしまおうという意欲的なアルバムなんですね、これ。ハーピストはクザヴィエ・ドゥ・メストレ。新進気鋭のハーピストです。
まあ、イケメン!とか女性はいいそうですけれど(確かにイケメン)、その演奏も素晴らしいものです。歌うハープと言えば当たり前かもしれませんが、実に歌っています。ただ、聴いていて思うのは、多分メストレはハープもチェンバロも同じ楽器だと意識して弾いているなということです。ピアノは弦を叩くわけですが、チェンバロは弦をはじくわけで、それはハープと何ら変わりないからです。違うのは打鍵かそれとも直接はじくのか、です。
そこを、はじくという点に着目して、歌うことを意識しているようにも見えます。はじけば、それだけテンポはどうしてもゆったり目になりますし、歌うことを意識せざるをえません。これがピアノだとたったかたったか行ってしまうんですよ、ええ。ピアニストにフレージングを大切にしない人が多いのはそれが理由なんです。だって、ピアノは息継ぎせずに音が出せる楽器なので・・・・・・叩けば簡単に音が出る上に、構造も単純です。だからたったかたったか行ってしまう。
けれども、ハープですと、息継ぎは必要ないにしても、音を出すにははじかないといけません。その分、ピアノより若干音がでるスピードは遅いんです。だからこそ歌う必要があるわけなんですね、どうしても。そこをわかっている演奏だなあって思います。
そんなの当たり前だと思うでしょ?けれどもこれがプロでもわかっていない人はごまんといます。もともとアマチュア合唱団員だった私からすれば「先生~、それ、フレージング忘れてるでしょ!」って演奏はいくらでもあります。結果それはともすればつまらない演奏に堕してしまいます。メストレの演奏はそんなことがみじんもないんです。むしろこのハープの演奏こそがそもそもだという説得力さえ持っています(もちろん、そもそもはチェンバロ用なんですが!)。
単に美しいだけではなく、その美しさはしっかりとした技術と精神に裏打ちされているということを、たっぷり味わえるアルバムだと思います。
聴いている音源
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
ハープ協奏曲ト長調Hob.XVⅢ-4(原曲:チェンバロ〔ピアノ〕協奏曲)
ハープ協奏曲ニ長調Hob.XVⅢ-11(原曲:チェンバロ[ピアノ]協奏曲)
変奏曲ハ長調Hob.VXⅡ-5
アダージョヘ長調Hob.XVⅡ-9
マルセル・グランジャーニ作曲
ハイドンの主題による幻想曲作品31
クザヴィエ・ドゥ・メストレ(ハープ)
ベルトラン・ド・ビリー指揮
ウィーン放送交響楽団
地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。