かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン ピアノ・ソナタ全集5

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ハイドンのピアノ・ソナタ全集を取り上げていますが、今回はその第5集を取り上げます。

ホーボーケン番号でXVI-29からXVI-34の6曲が収録されていますが、ソナタという名称が落ち着いてきた時期でもあり、だんだんとチェンバロのみというよりはむしろクラヴィーア用という感じの作風になってきているのが特徴的な作品たちだといえますが、転調がダイナミックにもなっているのもまた特徴的です。

これらの作品が、おそらくベートーヴェンの青年期には当たり前に弾かれていたと想像されます。成立がちょうどベートーヴェンが生まれたあたりの1774年から84年という10年間あたりであるということを鑑みますと、ほぼ青年ベートーヴェンが触れたピアノ・ソナタはこれらハイドンのものだった可能性が高いわけです。

そこから、ベートーヴェンは独自の世界を作っていったわけですが、このハイドンに加えてモーツァルトがいた・・・・・その陰影世界が、のちにベートーヴェンが作品1としてピアノ・ソナタを発表する布石になっていると、これらハイドンの作品を聴いても感じるのです。

そんな愛しき感情があるのかどうか、オルベルツはただ単に端正に弾くのではなく、かなりアコーギクをつけて、チェンバロ用というよりはむしろクラヴィーア用であると宣言しているかのように、当たり前にピアノ曲として弾くんです。そしてそれが違和感ないから不思議。そして生命がしっかり宿り、いつの間にか一緒に「歌っている」自分がいるんです。これは素晴らしい・・・・・

感動するという感じよりは、じんわりと何かが心の奥底から湧き上がってくるという感じです。こういう演奏こそ、真に長く聴かれるものではないでしょうか。ただ酔うだけでは、なんとなく狭い範囲の共感しか得られないような気がします。

もしかすると、そんな「熱狂」に対する、オルベルツの異議申し立てなのかもしれません。たとえそれがもしかすると旧東独のプロパガンダだとしても、人間の本質を突いたものとして、私は評価したいと思います。そんな批判精神がなくなったら、自由は一体どうなるでしょう?それを考えれば、この演奏はどんな背景があったにせよ、私は評価に値すると思います。そんなに社会主義が嫌いなら、あなたがプロデューサーになり西側のピアニストで収録すれば済む話、なんですから。

反日韓国を支持しているやつは日本から出ていけとか言っている、そこのあなたに言っているんですけれどね。

 


聴いている音源
ピアノ・ソナタ第44番ヘ長調Hob.XVI-29 作品14-3
ピアノ・ソナタ第45番イ長調Hob.XVI-30 作品14-4
ピアノ・ソナタ第46番ホ長調Hob.XVI-31 作品14-5
ピアノ・ソナタ第47番ロ短調Hob.XVI-32 作品14-6
ピアノ・ソナタ第34番ニ長調Hob.XVI-33 作品41-1
ピアノ・ソナタ第53番ホ短調Hob.XVI-34 作品42
ヴァルター・オルベルツ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。