かんちゃん 音楽のある日常

yaplogから移ってきました。日々音楽を聴いて思うことを書き綴っていきます。音楽評論、想い、商品としての音源、コンサート評、などなど。

神奈川県立図書館所蔵CD:ハイドン ピアノ・ソナタ全集4

神奈川県立図書館所蔵CDのコーナー、ハイドンのピアノ・ソナタ全集を取り上げていますが、今回はその第4集を取り上げます。

この第4集に収録されているのは、Hob.XVI-23からHob.XVI-28までの6曲です。ピアノ・ソナタという名称がようやく使われ始めた時期の作品たちで、確かに後世の私たちから見ても、ピアノ・ソナタらしい作品が並んでいます。

これらすべてはハイドンの作曲名で出版されており、ほぼハイドンの作(1773~1776年にかけて成立とされる)と確定されているものばかり。結構堂々としているものもあり、どこが苦手だったのさ、と思う作品が並んでいます。

とはいえ、ここまで聴いてきますと、交響曲のようなにやりとする作品はなくて、オーソドックスなものばかり。その意味では、確かにハイドンは苦手にしていたんでしょうね。

そんな作品たちを、オルベルツは丁寧に、しかし十分に歌っています。この「歌う」というのが、いいですよね~。いろんな評論を私も見ますけれど、「歌っている!」という感嘆の表現をあまり見かけないような気がします。もちろん、人間の内面は複雑ですから、必ずしも歌うことだけが表現ではないんですが、とはいえ、私たちは喜怒哀楽の表現として、意外にも歌うことって多いわけです。少なくともその4要素で私たちが「歌う」のであれば、カンタービレしている演奏はまさに私たちの魂との共鳴であるはずなんです。

その基礎があって、次にはどれだけ深く掘り下げているんだろうかとかになるんだろうって思います。少なくとも、十分すぎるほど歌っていない演奏はたいてい楽譜をなぞるだけです。それは端正という表現からも遠くなります。基本はカンタービレ・・・・・私はそう思っています。

私のようにコンサートで体を動かさなくても、たいていコンサートで聴いている人はどこかでリズムを取っていたり、声には出さないけれど一緒に歌っていたりするのです。それが魂を揺さぶり、感動へと至る。その究極の演奏をするのが、たとえば来日しているウィーン・フィルであったり、ベルリン・フィルだったりするわけです。だからこそ私たちは感動するのです。

ただ、今回のウィーン・フィルにしてもベルリン・フィルにしても、コンサート・ピースはありきたりなものが多く、少なくとも私はそれほどお金があるわけではないので、聴きに行きたいと思うものではありませんでした。それなら、このオルベルツのピアノを聴いていても十分です。それよりは、多くの方のレヴューを見ていて高い金を払ってでも聴きに行きたいと思ったのはロイヤル・コンセルトヘボウでした。ともすればマイナーなベートーヴェンピアノ協奏曲第2番を取り上げるというのは、意欲的なプログラムだと思います。やはり高い金を払っていくのであれば、ただいい演奏を聴くだけではなく、どんなプログラムで私たちを驚かせてくれるんだろうって、私は期待しますので。

その驚きが、リアルで経験できる・・・・・こんな素晴らしい機会はありません。少なくとも、ロイヤル・コンセルトヘボウに関しては、ソリストもオケも、このオルベルツのようにカンタービレしたようで、さすが欧州のオケだなって思います。マイナーな作品をカンタービレしている演奏を聴けることこそ、ただ聴衆に媚びるだけの海外オケや日本のプロオケとは違う、オランダのオケだと思いますし、同じ精神を、この旧東独のオルベルツにも感じるのです。

唯一の欠点は・・・・・皆さん、図書館の資料は大切に扱いましょうね。ところどこともうどうしようにもない音飛びが・・・・・せっかくの素晴らしい演奏が台無しです。まさか社会主義国の演奏だから傷つけてもいいってことは、ないことと信じたいですが。

 

 

聴いている音源
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン作曲
ピアノ・ソナタ第38番ヘ長調Hob.XVI-23 作品13-3
ピアノ・ソナタ第39番ニ長調Hob.XVI-24 作品13-4
ピアノ・ソナタ第40番変ホ長調Hob.XVI-25 作品13-5
ピアノ・ソナタ第41番イ長調Hob.XVI-26 作品13-6
ピアノ・ソナタ第42番ト長調Hob.XVI-27 作品14-1
ピアノ・ソナタ第43番変ホ長調Hob.XVI-28 作品14-2
ヴァルター・オルベルツ(ピアノ)

地震および津波、水害により被害にあわれた方へお見舞い申し上げますとともに、亡くなられた方のご冥福と復興をお祈りいたします。同時に救助及び原発の被害を食い止めようと必死になられているすべての方に、感謝申し上げます。